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いつも生き生きと

熊本 洋

今日の心の糧イメージ

 願わくば、いつも意気揚々、はつらつ明朗でありたいものであります。

 しかし、喜怒哀楽のある人間、いつも、はつらつ明朗でいることは、恐らく不可能と言えそうです。だからこそ、「いつも、喜んでいなさい」という言葉が教訓になっているのだと思います。(1テサロニケ5・16)

 いつも喜んでいるには、まず、悩み事を抱えず、常に楽天的であることが必要ですが、言うは易しく、実行甚だ困難。何らかのことで、常に努力を重ねている私たち、その心底には、なんらかの苦しみや悩みを抱えています。その悩みは、目的達成のためと考えるとき、その悩みは、喜びに変化します。

 ところで「生き生きと」生きるには、まず、心が「純粋潔白」であることが大事だと思います。汚れた意識や思いからは、「生き生きと」した心は生じません。目覚め後の「生き生きと」した新鮮な心は、体験上目覚め後、約20分の沈思黙想によって、尚一層、生き生き、鮮明になります。

 雑念が消え、心が純粋潔白になったところで、明るい希望に満ちた今日一日の計画を描き、確信を持って、その実現に努力することを自ら誓います。

 自ずと朝の祈りであり、申し分のない、その日一日の出発であります。その後は、射祷で、神との絆を保ちます。射祷とは、ごく短い祈り、例えば、「主よ、憐れみ給え」とか「主よ、み旨のままに」とか「わが主、わがすべて」と言った極短い祈りを矢を射るように繰り返し祈る祈りで、ことあるごとに、いつ、どこでも、また、心の中でも、口に出しても、唱えることができ、力強い勇気が与えられます。

 この大きな恵みと共に「いつも生き生きと」生活できることに深く感謝しています。