心を一つに

黒岩 英臣

今日の心の糧イメージ

 私はオーケストラや合唱の指揮を仕事としています。

 あんなに大勢の人々が一緒に音楽を奏でて、しかもそれぞれ違うパートで別々の音を出して、よくあんなに一糸乱れずにまとまるものだとお思いになりませんか?

 私は海の中で、鰯などの何万匹もの大群が、一瞬のうちに方向転換する映像などを見ると、このオーケストラでの感覚を思い出すのです。

 オーケストラは演奏する曲目が、シンフォニー(交響曲)をメインと考えられているのか、シンフォニーオーケストラとよばれますが、これ、実はギリシャ語が語源で、シンとは共に、一緒に、という意味で、フォニーは音なのだそうです。

 ところが、今年は1月下旬頃から、新型コロナウィルスの大流行で、私の出演するコンサートもすべて無くなってしまい、ここ何十年と経験したことのない暇な日々になってしまいました。ほんとに、見事に、1回もなくなったのです。

 世の中を見渡すと、学校や会社はもとより、各種の店その他、人の集まりそうな場所や職業は、みな営業を自粛して、この一線で人の流れを断ち切り、疫病の蔓延を乗り切ろうと呼びかけられました。実際、この蔓延は世界的な規模に達しており、今、生きている全ての人が心を一つにして協力し、これをくい止めるという必要があったのです。私たち音楽家もまた、例外ではありません。

 しかし、医療はもちろん必要ですが、私たちは祈りを忘れたくないものです。主キリストはこう仰っておられます。「私の名によって願うことは、私がかなえてあげよう」と。(ヨハネ14・14)ただし、これには一つ重大な条件があります。それは「私があなた方を愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13・34)ということなのです。

心を一つに

遠山 満 神父

今日の心の糧イメージ

 複数の人の集まりは、人の心が一つになれば大きな力となりますが、分裂すれば悲惨な結果となります。誰もが他者との一致に憧れますが、実際には、それ程簡単ではありません。それでは私達は、どのようにして、他者との一致を築いていく事が出来るのでしょうか。

 相手の中にある長所を見出し、それに倣っていく事は、一つの方法です。

 公会議後のカトリック教会は、プロテスタントの兄弟達との一致を、そのような形で実現して来ました。以前カトリック信者は、現在ほど聖書に親しんでいませんでしたが、公会議後に出された教令に従い、プロテスタントの「兄弟達の間に見出されるもので、共通の遺産から生じた真にキリスト教的な富を喜んで尊重」しようと努めると同時に、それに倣おうとしてきました。

 

 それが聖書に親しむ姿勢で、その結果、両教会共同で編纂された新共同訳聖書が生まれました。現在、カトリック教会で聖書が大切にされるようになったのは、プロテスタントの兄弟達に負う所が大きいと思います。

 パウロは、他者と一致する方法について、次のように述べています。「思いを一つにして、私の喜びを満たして下さい。何事も利己心や虚栄心からするのではなく、遜って、互いに相手を自分よりも優れた者と考えなさい」と。(参 フィリピ2・2~3)一致の為には、相手を優れた者と考え、相手から学ぶ姿勢を身に着ける事が不可欠なのです。

 けれども実際は、相手の良さが見えない時もあります。そのような時、相手との間に距離を取り、少し離れて相手を見ることも大切なのかもしれません。

 富士山も遠くから見れば美しいのですが、いざ登山道を登れば、石と砂の世界なのですから。


前の2件 3  4  5  6  7  8  9  10  11  12  13