心を一つに

湯川 千恵子

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 新型コロナウィルスの感染があっという間に広がり、日本中が、世界中が悲鳴をあげています。目に見えないウィルスとの戦いは、滅びるものではなく、何を大切にしなければならないかという生き方の本質を見極める時代の到来のように感じられてなりません。

 今年のご復活祭は、教会に集まって共に賛美の歌を歌って祝うことが出来なくて、何とも寂しい春でした。しかし一人静かに家で祈っていると、祭壇に飾っているイエス様のお顔が急に生き生きと感じられました。そうだ!教会でお祝いできなくても、直接イエス様を仰ぎ見て、賛美と感謝の祈りを捧げればいいのだわ!そう思ったとたん、心が広がった様で嬉しくなりました。

 イエス様は万物の創造主である神が人類への特別の愛を示すために、人間の姿でこの世に遣わされた神の分身です。

 目に見えない神の慈しみと憐れみを、人の言葉と力ある愛の行いで宣教し、全ての人の罪を贖って十字架上で命を捧げ、復活し、新しい命、すなわち聖霊を注いで下さっています。

 去年来日された教皇様は、優しい笑顔や温かい態度、思いやりのあるメッセージで私たちを喜びと希望で満たして下さいました。その教皇様から輝き出た同じ聖霊の光が、私たち一人一人を太陽のように照らし、導き、祝福して下さっているのです。そして「何時もあなたたちと共にいる」(マタイ28・20)と約束されたイエス様が本当に何時も私と共にいて下さっているという、その臨在感に打たれて萎れていた私は力づけられたのでした。

 それで今は家族や友人たちとの絆と共に、教皇様もご一緒に世界的規模で皆が心を一つにして、全てを益とされる神の愛の力を信じてコロナウィルスの危機を乗り越える叡智を祈り求めたいと願います。

心を一つに

三宮 麻由子

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 ローマ教皇のメッセージに、英語の「solidarity」という言葉がよく出てきます。日本のメディアでは「連帯」と訳されることが多いようですが、カトリックの公文書では「一致」と訳すようです。

 辞書にはこの単語の翻訳として、連帯、団結、一致、結束といった日本語が書かれています。意味を訳すなら文面の雰囲気に応じて単語を選べば良いのですが、カトリックで使われる「一致」には、特別な意味があると私は思います。

 「solidarity」の語源は「solid」、硬い、結束しているというもの。和英辞典では連帯の英語に当てられていますが、単につながっているだけでなく、一つの硬い存在となるとも受け取れます。私には、連帯よりもずっと強い、「融合」に近い感じがします。

 メッセージでは、「unity」(結合)や「cooperation」(協力)よりも「solidarity」が多く使われる印象があります。それは、心を一つにするということは、単につながったり協力したりするだけではない、強く融合し、一つの存在としてみんなで「まとまる」ということだとの意図があるからではないかと思うのです。

 一致とは、お互いの違いをしっかり認めたうえで、ある点では「不可分」であるということなのでしょう。助け合いのためにまとまるのではなく、まとまった結果、当然助け合いになるという発想です。個人が変われば社会が変わるという、フランシスコ教皇のスタンスと通じます。いまふうに言えばワンチームでしょうか。そして心が一つになれば、日本でよく聞かれる、助ける人が偉くて助けられる人が迷惑をかけているという雰囲気の議論も、自然に消えるでしょう。

 考え方や価値観を超えてまとまるということ、一緒に考えてみませんか?


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