心を一つに

末盛 千枝子

今日の心の糧イメージ

 世界中が、コロナウイルスのことで、大変になってしまいました。

 でも、私は冷たいかもしれませんが、どこかで、「やっぱり来た」と思っているようです。というのは、あの三陸地震の時に、岩手に住んで間もない私はなぜか「大変なのは自分たちだけではない」と強く思ったからです。そのすぐ後でロンドンで行われた子供の本の世界大会で報告を求められたのですが、その時にも、英文のテロップをつけてもらった「花は咲く」という歌のビデオを流して、「みなさん東北の大変な状態はテレビなどでご覧になったでしょうが、大変なのは私たちだけではないと思っています」と話したのです。

 あの歌の中に、希望が語られていると思ったからです。「すぐに良くなる、回復するということではないかもしれない、でも、本当にゆっくりとゆっくりと思いがけない光が見えてくるのではないかと思うのです、希望とはそういうものではないでしょうか」と言ったのです。すると終わった時に、たくさんの方がそばに来て、泣きながら喜んで、感謝してくれました。私は自分の気持ちが通じた、と思ったのです。そう、それぞれみんなも、何かかにか、困難を抱えているのだと思いました。自分たちだけが大変なわけではないのです。

 そして、今回のコロナです。これは世界中ですから、誰かを恨んだりしても何も始まらない、と思います。

 でも、ミサがないのはなんとも悲しい。

 ただ、ネットで流される世界中のミサの様子を見ながら、不思議な感覚に捉えられました。画面で見ていても、やはりミサに与っているという実感があるのです。そして、これは原始キリスト教の時代、つまり、キリストが天に帰ってから、教会ができるまでの混乱の時間を生きた人たちの素朴な信仰を思ったのです。

心を一つに

岡野 絵里子

今日の心の糧イメージ

 「心を一つにする」のは難しい。自分自身の心も思い通りにならないのに、大勢の人の心を一つに合わせることなど不可能だ、と多くの人は考えているのではないだろうか。私にとっても稀なことだが、心が一つになったと思える経験をしたことがある。

 2018年12月、聖書協会共同訳の聖書が刊行された。新共同訳聖書の刊行以来、31年ぶりの新しい訳である。この翻訳事業に、私も日本語担当の翻訳者兼編集委員として参加させて頂いていた。カトリック、プロテスタント、を始め、いくつもの教派から、また聖書学、教義学、典礼等の研究者の方々、そして詩人、歌人、日本語学者等多くの方々が集まっておられた。

 一般的には、人数が多いほど一つにまとまるのは難しくなるものだが、この事業では、皆よくまとまって、過酷な作業と日程をこなし、そして不思議なほど清らかな空気がいつもあったのである。

 翻訳者たちは、翻訳作業であれ、訳語検討会議であれ、仕事を始める前には、必ず皆で祈りを捧げていた。合宿では、朝の祈りから一日がすがすがしく始まったことも忘れられない。

 私たちを一つにして下さい、心を合わせて、この仕事を遂げることが出来ますように。そんな祈りもよく捧げられた。私たちは毎日祈っていたが、その祈りは毎日叶えられていたのである。

 祈りの言葉は、人から余分なもの、醜いものを削ぎ落とし、魂と魂が生きるのに必要なものだけを残す。祈る度に、私たちは削ぎ落とされていったのだろう。そして清らかな空気が日々に生まれたのだ。聖書を手にすると、翻訳者たちが心を合わせ、よき訳文を生み出す努力をしていた姿が思い出される。清らかな何かが甦ってくる気もする。


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