私の少女時代、五島福江教会の松下神父さまによくいわれたことは、「線の上に心を置くように。線とは、神さまと人間界との境界線。線の上に心を置く修養をしていると、線の上の世界には何の不安もないから、いつも心おだやかに暮らせる」というものだった。
つまり、線の上に心を置くと、神さまと一致できるから、いつも平安な心で暮らせるということを教えられた。
あれから六十年も経った。結婚し、子育てや夫の両親との同居など、努力はしたつもりであるが、やはり、心騒ぐ日々の方が多かったことを反省をこめて思う。
簡単に一致という言葉は使えないとつくづく思う。夫婦であれ、親子であれ、兄弟であれ、心が一致するということは大変にむずかしいことと思う。
血縁ですら、そうであるから、他人同士の一致などなおさらむずかしい。隣近所でさえむずかしい。隣国とだってむずかしい。
私は他人からよく身上相談めいた相談を受けるが、そのほとんどがつきつめると相手と考えが合わないというものである。
夫婦、嫁姑、兄弟にそれぞれ、伴侶が出来てからのイザコザである。
自分でさえ悩み多いのだから、的確な回答など、およそ出来ず、申し訳ないが、松下神父さまから教えられた線の上に心を置くことを私なりに精一杯説明する。
すると、相談相手が何かつきものが落ちたかのように、険しい顔つきがやさしくなり、「いいことを聞きました。今からすぐ実行してみます」と帰って行く。
今、わかったことは、人間界ではたとえ血縁でも一致はむずかしく、神さまの助けを借りて、一致を願いつつ生きるしかない。