複数の人の集まりは、人の心が一つになれば大きな力となりますが、分裂すれば悲惨な結果となります。誰もが他者との一致に憧れますが、実際には、それ程簡単ではありません。それでは私達は、どのようにして、他者との一致を築いていく事が出来るのでしょうか。
相手の中にある長所を見出し、それに倣っていく事は、一つの方法です。
公会議後のカトリック教会は、プロテスタントの兄弟達との一致を、そのような形で実現して来ました。以前カトリック信者は、現在ほど聖書に親しんでいませんでしたが、公会議後に出された教令に従い、プロテスタントの「兄弟達の間に見出されるもので、共通の遺産から生じた真にキリスト教的な富を喜んで尊重」しようと努めると同時に、それに倣おうとしてきました。
それが聖書に親しむ姿勢で、その結果、両教会共同で編纂された新共同訳聖書が生まれました。現在、カトリック教会で聖書が大切にされるようになったのは、プロテスタントの兄弟達に負う所が大きいと思います。
パウロは、他者と一致する方法について、次のように述べています。「思いを一つにして、私の喜びを満たして下さい。何事も利己心や虚栄心からするのではなく、遜って、互いに相手を自分よりも優れた者と考えなさい」と。(参 フィリピ2・2~3)一致の為には、相手を優れた者と考え、相手から学ぶ姿勢を身に着ける事が不可欠なのです。
けれども実際は、相手の良さが見えない時もあります。そのような時、相手との間に距離を取り、少し離れて相手を見ることも大切なのかもしれません。
富士山も遠くから見れば美しいのですが、いざ登山道を登れば、石と砂の世界なのですから。