私のふるさと五島列島は四方八方海に囲まれているので、夏休みの間、友だちと一緒に海辺へ行くのが日課であった。
朝から行き、昼頃帰るのであったが、海へ行くとなぜかとても疲れて、昼御飯のあと、必ず昼寝するのだった。
小1時間ほど昼寝しただけなのに、目が覚めると翌朝のような気持ちになり、「あっ、けいこ部屋に行くとば忘れてしもうた」と、傍にいる母に言うと、「なんの、今、夕方にもなっとらん、これからおやつば食べて、けいこ部屋に行かんばよ」と母はやさしく言った。(けいこ部屋とは教会で子どもたちが神さまのことを習う教室のようなところだ。)
私が海へ行くのは、海水浴や、「みなとり」といって、さざえのような小さい貝をとったり、ただじっと海を眺めるのが好きだったこともある。
「海はさ、世界中どこにでも続いとって、五島の海もさ、パパさまのおらすローマの海にも続いとっとよ」とけいこ部屋で教えてもらったことが、私の小さい心を希望でふくらませていた。
海を眺めていると、まだ実際にはお会いしたこともないパパさま、つまりローマ法王が身近に感じられた。
当時のパパさまはピオ十二世。
そのパパさまがご病気になられた時、私たち五島の子どもたちはその回復を心をこめて祈り続けた。
私たちの祈りが五島の海に吸い込まれ、その海がずうっとずっとローマのパパさまの元へ届くと信じて祈ったのだった。
今年の初めに帰天した私の弟の家は、大阪でも和歌山寄りで、海の近くにあった。
電車に乗って弟の住む駅の近くになると、窓から海が見えた。
「ああ、この海も五島に続いている」と思うと、幸福な気持ちになった。
夏、海は私の心を大きく育ててくれた。