夏の思い出と言えば、私にはどうしても、中田喜直さん作曲、江間章子さん作詞の、あの名曲が真っ先に頭に浮かんできてしまいます。「夏が来れば思い出すはるかな尾瀬、遠い空」というあの曲で、もう何とも懐かしくてたまりません。
数年前に亡くなった、私が子供のころからお世話になった声楽家の先生が、あるコンサートでこの曲を歌われたそうです。その折、「石楠花色にたそがれる」のところで、うっかり「たそがれ色に」と歌ってしまったので、とっさに「しゃくなげる」と続けたのだそうです。ハハハ・・しゃくなげるって何!?
さて、日本の夏は、湿気その他で堪らないこともありますが、それでも、緑が深く、日差しをよける木陰も沢山あろうというものです。
ところが、聖書が描いているパレスチナあたりの世界は、日本とは全く様子が違うようなのです。
私はこの秋に、再びメンデルスゾーンの大作「エリヤ」を指揮する予定ですが、曲が始まるや否や、神から遣わされたエリヤは時の王、権力者アハブに向って宣言します。「私の仕える主は生きておられる。私が告げるまで、数年の間、露も降りず、雨も降らないであろう」と。(列王記上17・1)
この結果、その後の北イスラエルには3年半にわたって一滴の雨も降らず、川も井戸も干上がり、雑草に至るまで枯れてしまい、人々の口の中もカラカラに乾いて、舌が上あごにひっつくほどになりました。しかも照り付ける太陽は、日本の夏の何倍も強いのです。
人は、いつも同じ過ちを繰り返すもののようです。ですが、この時も主はエジプト脱出の時のように、アハブと民が悔い改めて主に立ち戻ることを望んでおられました。
全能の神の本心は、人を水際で休ませたいのです。