親と子ども

服部 剛

今日の心の糧イメージ

 子どもの頃、父と出かけて外食をすると、必ず父に「食べたいものが決まったら、自分で店員さんを呼びなさい」と言われました。〈なぜ、ぼくが呼ぶのかな?〉と思いながらも、私は勇気を出して手をあげたものでした。

 ある時は、水族館に行き、子どもたちの前で説明するお姉さんが「なにか質問はありますか?」と聞くのでモゾモゾしていると、父は「聞きたいことがあるなら、手をあげなさい」と、少し厳しい声で言いました。私は勇気をふり絞り、まっすぐ手をあげました。

 そんな懐かしい場面は、大人になった今も私の記憶に残っています。

 

 「必要ならば、手をあげて人に聞く」という父の教育は身についたものの、思春期の頃は、誰かを好きになると親しくもないのに気持ちを打ち明け、ふられることもしばしばでした。

 また、恋愛以外でも20代から30代にかけては〈迷ったら、前へ出よう〉と思い、踏み出したまでは良いものの、いろいろと失敗もしました。

 しかし、40代を過ぎた頃から〈そんな多くの失敗さえも無駄ではなかったかもしれない〉と感じるようになってきました。友人と出かけて行先が分からない時、迷わず人に尋ねると、親切に教えてくれることが多いのも、その一例です。

 確かに、むやみやたらと手をあげて人に聞けばよいものでもありません。その場の空気をしっかり読みとることが大切です。しかし、日々の場面で本当に大事な時は、手をあげて質問したり意見を伝える人でありたい、と思っています。

 今となっては高齢になり、母と支え合い暮らす父に、私は心の中で感謝しています。〈親父、けっこう苦労もしたけれど、おかげさまで貴方の息子は積極的に我が道を歩み、今日も充実しています〉と。

親と子ども

中井 俊已

今日の心の糧イメージ

 子育ては、すばらしい仕事です。

 子育てには、二つの目的があると私は考えています。

 一つ目は、子どもが成長しながら自立し幸せになることです。子どもは、親に育てられ、幸せになるために生まれてきたのです。

 ただし、親がいなくても、自分のことは自分でできる、他の人と心を通わせていける、困難があってもたくましく道を切り開いていけるような人間になってほしいものですね。このような自立した一人の人間を育てるのは、簡単なことではありません。むずかしく、また価値ある仕事です。子どもが生まれたとき、そんな仕事を両親は神様から任されたのです。

 さて、子育てのもう一つの目的は、親の側にあると私は考えています。つまり、親自身が子育てという仕事を通して成長し幸せになることなのです。

 私たちも人間として幸せになるために、この世に生まれてきました。子育てという楽しく、難しく、素晴らしい仕事を通して、人間的に成長し、より幸せな人生を営んでいく機会をあたえられているのです。子育てを通して、人を愛し、人から愛される素晴らしさを私たちは学びます。同時に、愛する努力に疲れる人間の弱さも知るでしょう。自分の親が、その弱さを感じながら、どんな思いで自分を育ててくださったかも学ぶでしょう。親も子どもとして、人や神様に感謝し、成長し、幸せになれるのです。

 聖母マリアと聖ヨセフは、イエスを産み育てていく上で、命がけの困難や多くの苦労があっても、愛と信頼と感謝のある生活を送ることができました。神様から任された子育てという仕事を通して、私たちも聖母マリアや聖ヨセフのようにより聖化され、幸せになることができます。


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