親と子ども

越前 喜六 神父

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 10人兄弟の末っ子として育った私ですが、早くに両親を失ったからこそ、親子の愛情こそが、幸せの源泉だと主張したいのです。

 男兄弟が8人、女姉妹が2人ですが、長女は早くから実家を出て、養女になりました。次女は田舎を離れ、都会の専門学校の寄宿舎に泊まっていたので、家にはほとんど男兄弟だけでした。戦中、戦後の厳しい時代でもありましたが、何より寂しく、生きるのが空しく感じられたのは、親がいなかったからだと、今でも思います。

 現在は、信者として、神さまやイエス様を親や兄弟のように感じているので、淋しくありませんが、昔は本当に孤独でした。現代の親が、子どもよりも仕事や職業を愛しているのでは、はっきり申し上げて、決して本当の幸せを体験することはできないでしょう。

 

 神さまが人に子どもを生み、育て、世話する愛をお与えになったのは、それによって神さまがあなた方自身をわが子のように愛しておられることを悟らせるためでした。母がわが子を無条件に自分自身よりも愛するように仕向けているのは、神さまの私たちに対する無条件の愛を体験させるためなのです。

 愛よりも素晴らしい宝はどこにもありません。現代人が間違っている、または分からないのは、神さまの無条件の愛を体験することなく、愛よりも仕事、お金、趣味、享楽、名誉、権力、支配欲などを優先させているからです。

 もう一度、繰り返します。親が子どもを愛するのは、子どもの中に神を見るからです。反対に、子どもが親を愛するのは、親の中に神を見るからです。

親と子ども

今井 美沙子

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 私には2組の両親がいる。

 実家、中尾の両親と、婚家、今井の両親である。

 実家の両親とは18年間、今井の両親とはその倍の33年間、一緒に暮らした。

 従ってどちらの両親も同じ比率でなつかしいと感じられる。

 2人の母は対照的であった。

 中尾の母は何でもしゃきしゃきとこなせて、無駄な動作など見かけなかった。口癖が「今日のことは今日のうちにすませろよ。そして、余力があったら、明日の分も先どりしてすませろよ。明日のことは何があるかわからんけんね」ということだった。

 その反対に今井の母はのんびり屋で「明日のことは明日したらいい、できなかったら明後日にしたらいい」と先のばしした。

 

 中尾の父は、よきにはからえタイプで、しっかり者の母任せであった。

 今井の父は、財布は自分が握り、それこそ、よそからいただき物のまんじゅうの数もきっちり覚えているような几帳面な性格であった。

 最初は今井の両親になじめず、一人になるとよく泣いた。

 心の中で「中尾の両親と今井の両親を足して2で割ったらいいのに」と思ったりした。

 しかし、いつしか今井の両親になじんだ。

 それは、両方の両親に共通しているものに徐々に気が付いたからであった。

 2組の両親は、宗教は異なったが、とても信仰深かった。日常の中にちゃんと神さまを中心にすえて暮らしていた。

 そして欲はなし、情け深いところも同じであった。何よりも私を嫁としてではなく、実の娘のように可愛がってくれたので、私も今井の両親を実の親のように慕った。


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