親と子ども

小川 靖忠 神父

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 いつの時代も親子の関りは大切であり、それだけに、問題も山積しています。何も、親と子だけの問題ではなく、そこに、周りのいろいろな出来事、人も絡まってきます。

 いちばんの問題は「子育て」の時代です。最近では、子育て放棄の親御さんのニュースが報道されます。「子育て」が大変な「重労働」であることは確かです。

それだけに、達成した時には充実感も大きいのではないでしょうか。

 かつて、多湖輝氏が「叱らない叱り方」について言及されたことがありました。言うまでもなく、「叱る」という目的は、相手の態度や言動を改めさせ、叱り手の望むような形に変えることにあります。とは言っても、叱り手のわがままではありません。

 例えば、親と子どもが約束を交わします。親が子どもに「ゲームは30分にしよう」と提案し、両者が納得して約束をします。ところが、時には、お母さんがいなくなると「どうせわからないから」とゲームの誘惑に負けてしまうことがありえます。

 この時、親がどのように対応するかです。「約束を守れないならゲームは取り上げます」と言うのか、または、「ゲームは30分と約束したよね。これからは時間を守ってね。お母さんはあなたのことを信じているわ」と微笑みながら言うのか。

 子どもが親の叱責を受けて反省し、態度を変えるのは、親の自分に対する愛情を感じるからでしょう。いつも親の愛情を受けている子どもは、親の言動や態度に敏感になっていきます。

 こうして、本当の「しつけ」が実現されていくのではないかと思うんです。「叱らない叱り」によって、人はより人らしくなり、人々に貢献できる、豊かな大人になっていくのだと確信します。

親と子ども

小林 陽子

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 わたしたちは誰しも、父あり母あってこの世に生を受けています。たったひとり自力で生まれてきたひとなんていませんね。

 それぞれわたしたちに備わっている個性や特性も、両親からのDNAを受け継いでいるのでしょう。ただ、それを磨きあげ、成長させていかなくてはならないのですが。

 とはいえ、いくつになっても親は親、子どもは子ども。

 わたしなどは、100歳を超える母を訪ねるといまだに、「手を洗ったか?」「ちゃんとうがいした?」とやかましく言われています。

 N君は、日本でアルバイトをしてお金を貯めては、インドのアシュラム(瞑想道場)で「ヴィパサナ」という瞑想修行をしています。そこには世界中から「わたしは何のために生きるのか」「わたしとは何もの?」などと『道』を求める若者たちが集まってきているのです。

 N君もそのひとり。

 これが彼の選んだ生きる道、なのですね。

「ご両親は心配なさっていませんか」と言えば、「いやー、今さら立身出世なんか期待してないからね、北海道の実家にも何年も帰ってないなあ」とあっさり。

 まいにち機嫌よくおいしくごはんを食べていればそれでよし、と彼のおかあさんは言われるそうです。ほお~。

 「それにきわめつきがあるよ」「なに?」「悪いことしないのよ、っていうの」

 うーん。なんとも腑に落ちますね、この台詞。

 以来、わたしも、食前の祈りのことばに、遠くに住む子供たちの名前をひとりひとり呼び上げ、「機嫌よく、おいしくごはんをいただいていますように」とつけ加えるのが習慣になりました。


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