親と子ども

湯川 千恵子

今日の心の糧イメージ

 私は子どもの頃、両親揃った普通の家庭の友達がうらやましかった。父が私の満1歳の誕生日直前に病気で急死し、幼い兄と私を残して母が東京の実家に帰ったのが1年ほど後のこと。隠居していた祖父が父親代わり、未亡人となって子連れで実家に帰っていた伯母が従兄弟たちと私たちの母親だった。近くに住む大叔母も毎日のように来て、手伝いの人もいる大家族だったので、シンプルな核家族に憧れたのだろう。

 今振り返ると、この「寄り合い舟」のような大家族の暖かい絆が私の成長に必要なゆりかごだったのだ。

 社会が複雑になり、家族の形態も色々と変化してきた。離婚も増えて子どもたちが落ち着いて成長する基盤が揺らいでいる。様々なサポートが必要である。

 

 以前、私がアメリカに留学中、ルームメイトの日本人Mさんは、1歳の時アメリカ人夫婦の養女となり、アメリカ人として育った。ところが少女の頃両親が離婚し、それぞれ再婚したので、彼女の家族関係は複雑だった。しかし彼女は休暇の度にミズーリ州の父親宅と、モンタナ州の母親宅を交互に訪ねて、新しい兄弟姉妹とも楽しく過している様子だった。笑顔の家族写真を見る度に私は不思議だった。余りに楽しそうだったからだ。

 しかし、離婚した両親に代わって母方の祖母に慈しんで育てられたことや、両方の家族が、愛である神を信じる善意の人たちであることを知り、彼女が安心して自由につきあえるのだと納得したのである。

 家族とは、血の繋がりをも越えた愛の絆のある人間関係の場であること、人の世の欠けたところを満たして癒やし、喜びと希望のわき出る源泉なのだとしみじみ教えられた。

 『愛と慈しみのあるところ、神はそこに居られる』。この聖歌を生き生きと実感した。

親と子ども

新井 紀子

今日の心の糧イメージ

 函館郊外大沼に移住し、羊を数頭飼って暮らしています。その中で、ミミという母羊とその子、紋次郎の話をします。

 紋次郎は3月の寒い朝に生まれました。ミミが生んだ次男だったので、紋次郎と名付けました。仔羊は通常3キログラムから5キログラムで生まれるのですが、紋次郎は2キログラムしかありませんでした。ミミが紋次郎を舐めただけで転がってしまいます。

 紋次郎がぶるぶると震えだしました。低体温症です。すぐに身体を温めてあげないと死んでしまいます。

 私は紋次郎を抱きかかえ羊小屋から離れたところにある山小屋に連れてくると、湯たんぽで温めた段ボール箱に入れました。

 最初は母羊のミミから絞ったミルクを哺乳瓶に入れて、2、3日経つと羊用の粉ミルクを3時間から4時間ごとにあげます。

 毎日、紋次郎をミミの所へ連れて行きました。しかし、紋次郎はなぜか母羊を怖がって逃げ惑うのです。

 お腹が空いて、紋次郎が「べー。べー。」山小屋で鳴くと、羊小屋でミミが必ず「べーべー。」と応えるように鳴きます。

 5月になり、元気に育った紋次郎を羊の群れに入れる時が来ました。

 

 放牧日和のある日、私は広い牧草地ならば紋次郎も大丈夫だろうと羊の群れに入れました。ミミはわが子を見つけると、すぐに近くにやってきて一緒に草を食べ始めました。すると紋次郎の存在に気がついた群れのボス羊が走ってきました。

 大変です。このままだとボス羊の頭突きを浴びてしまいます。

 「紋次郎。危ない」私が叫びました。その瞬間です。ミミが紋次郎とボスの間に割って入ったのです。どんっ!。ミミのお腹が赤くなるほどの頭突きでした。

 ミミ、偉い!

 慕われていない、むしろ子どもに怖がられている母であっても、危険を顧みず子どもを守ってあげるなんて。


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