ヨーロッパの建築現場で同じ作業をしている労働者たちがいました。
「あなたは何をしているのですか」
そう尋ねると、一人の労働者は不機嫌そうに言いました。
「見てわからんのか。レンガを積んでいるんだ」
別の人に同じことを聞いてみると、元気なく答えました。
「生活するために金をかせいでいるんだ」
今度は、活き活きと働いている人に尋ねてみると、笑顔で答えました。
「神様や人々のために大聖堂を造っているのですよ」
その人は出来上がった大聖堂で多くの人が祈っている姿も思い描いていたかもしれません。
ところで、私たちはどのような心で日常の仕事をしているのでしょうか。仕事に喜びがあるでしょうか。
仕事には楽しいことばかりではなく、単調で退屈で面白くもないこともあるでしょう。苦労や疲労が伴うこともあります。
しかし、仕事は神の賜物であり、祈りになりえます。
神御自身がこの世を創造する仕事をされました。そして、私たちがそのみ業に参与することをお望みになり、仕事を通して私たちを幸福にしたいと思われました。
また、イエス・キリストはナザレでの隠れた30年間、大工の仕事に打ち込まれました。それは、私たちの模範となるためです。
そして、聖母マリアも、家庭の主婦として平凡な家事や雑事を愛をもって果たされました。それが神さまのみ心だったのです。
聖ヨセフも、神の御子の養父としての使命を知りながら大工の仕事を一所懸命果たしました。それが、神に仕え自分の聖性を高める道だったのです。
私たちも聖家族のように、仕事を通してまわりの人や神に仕えることができます。神や人から喜ばれ感謝され、自分の喜びも生み出すことができるのです。