神のみ言葉によって、苦しみに耐えて生きて行く力を与えられた二人の話を紹介します。
一人目は、重い病の床にあった妻を見舞いに来てくれた目の不自由な女性です。彼女は白い杖を頼りに、一人で電車とバスを乗り継いで来てくれました。クリスチャンの彼女と、イエスのご受難の話をしました。主イエスが目隠しをされて殴られ「だれが殴ったか言い当ててみろ」(マルコ14・65)と侮辱されるお姿に、彼女は涙が止まらないと話してくれました。
行動力に富んだ彼女だけに、危険な目に合うことや、くやしい思いをすることが多かったことでしょう。理不尽な扱いに対して、目をふさがれたイエスが、無言で耐え忍んでくださったことが、彼女にとって何よりの慰めと希望となっていたのです。
二人目は寝たきりだった妻です。ある時、妻のほおの上にハエがとまったのだそうです。全身動かすことができず声も出せない妻は顔の上を歩きまわるハエを追い払うことができなくて、屈辱のあまり涙ぐんでしまいました。
ところがその時、ふとイザヤ書の次の言葉が心に浮かんだのです。「私は逆らわず、うしろに退きもせず、 打つ者に私の背中をまかせ、ひげを抜く者に私の頬をまかせ、侮辱されても、つばきをかけられても、私の顔を隠さなかった。しかし、神である主は私を助ける」という、イエスのご受難の姿を指し示す言葉です。(50・5~7)
「イエス様は私の気持ちをご存じだった。しかも背中に襲いかかる激痛も合わせてご存じだった」。主が共にいて助けてくださると気づいた妻は、悔し涙が感動の涙にかわったのでした。
主イエスが苦しみを共に担ってくださることは、私たちの大きな慰めです。ですから、どのような困難に出会ったとしても、勇気と希望を失うことなく生きてゆけるのです。