希望が叶う時、意外に身近に希望するものや事があり、「灯台もと暗し」という事態の時、希望はここにあると云えるのでしょうか。
希望と夢はよく似ていますが、微妙なニュアンスの違いがあります。
希望は文字通り、のぞみ、ねがいのことです。夢となると時の長さが加わり、将来実現したいと思っている希望、叶いそうもないはかない願いなど、遠い先のことで漫然としています。希望は日程や好みなど、身近なことにも使う言葉です。希望の光とか希望の星というように、希望はまっすぐな光を放ち、虹色の夢というように夢は多彩で、あいまいな雰囲気を持っています。
ある時私は訪問先のお宅に飾られていた書の額を見て、まるで捜し物を見付けたような喜びを感じました。
「夢がある
夢を持ったら 計画を立てる
計画を立てたら 実行する
実行したら 反省する
反省した実行は 実績になる
実績は 信頼を生む
信頼は 人を集める
人が集まり 夢が広まる」
夢でも希望でも冷静に計画し、出来ることから実行に移さなければ、何も始まらないのです。書の額の言葉には夢が実現する手順が私の希望通りに説かれていました。
希望通りといえば、キリスト教の信仰の説明を求められると、私は決まってパウロが書いたコリントの信徒への第1の手紙、15章12節から説かれている死者の復活の箇所を示すことにしています。
「最初の人アダムによって、全ての人が死ぬことになったようにキリストによって全ての人が、生かされることになったのです」(22節)
キリストの復活こそが人類の希望なのです。そしてより多くの人が、この希望に気付くことを祈り、夢見ています。