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その時『わたし』は

堀 妙子

今日の心の糧イメージ

  わたしは2人兄弟で、弟がいる。

 幼い時に、神社のお祭りに行った時の経験から、わたしは与えられた人生に、祈りと計画と喜びをもたなければと思っている。

 わたしと弟は浴衣を着て、下駄を履き、母に連れられて神社のお祭りに出かけた。弟もわたしも、お小遣いは小銭で合計500円だった。

 神社のお祭りには、鳥居の前から神社の境内まで夜店があり、夢のような空間だった。わたしは鳥居をくぐる前に、ほしいものが見つかり、お面をちょうど500円で買ってしまった。一方、弟は小さなアメを買い、少し進んで迷いながら、紙風船を買い、また少し戻っては、クジを引いていた。また少し進んで、緑や赤の水あめを買い、2色をぐるぐる混ぜながら楽しそうだった。

 母は、ぼうぜんとしているわたしを連れて、鳥居の前に戻って、お詫びをしながら、お面を風車に取り替えてもらい、残ったお金200円で出店をまわるようにしてくれたが、わたしはずっと泣いていた。200円が手元に残ったが、何もほしいものはなかった。家に戻り、楽しそうな弟、わたしは子どもながらも、虚しい気持ちでいっぱいだった。

 このお祭りの思い出は、その後のわたしの人生に大きな教訓となっている。時々、すっかり忘れて同じような失敗をくり返してしまうのだが、まず、神社にお参りすること、そして、全体を見ること、自分のお小遣いの額をよく考えることだった。

 その後、わたしは20代でキリスト信者になるのだが、日々わたしは、神さまに、祈る。

 神さまのみ旨を優先せずに、自分の思いを選ぶと、必ず行き詰まることになる。先が見えなくても神さまのみ旨に従うと、なぜか数日後には使命も生きる手立ても天から降ってくるのだ。