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その時『わたし』は

村田 佳代子

今日の心の糧イメージ

 1981年(昭和56年)2月、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世が初来日なさいました。

 後楽園で行われたごミサはみぞれから雪に変わった極寒の中で捧げられました。この日子供たちとごミサにあずかった私は、思いがけない出会いをしました。大学卒業後15年を経ての学友との再会です。

 彼女は卒業式の翌日修道女を志願し去っていきました。県立高校から進学し、優秀で女性の社会進出のパイオニアとして期待していましたので、サラリと「召命にお答えして」と言われ、当時未信者だった私は少なからずショックをうけたものでした。その彼女が早くも貫禄あるシスターになって私の背後の席から声をかけてくれたのでした。以来40年近い歳月が流れましたが、シスターとの親密な交流と友情に支えられ、今の私の画業が成り立っているのだと思えるのです。

 なぜなら、ヨハネパウロ二世と4月に来日されたマザーテレサをテーマにして、「善き訪れ」と題した個展をこの年に開催したことがきっかけとなり、「鎌倉のキリシタン」という江戸殉教の歴史画を描くようになりました。

 以来「みちのくキリシタン」「二十六聖人の少年達」「京都母と子らの殉教」と瞬く間に十年が過ぎ、その後「ペトロカスイ岐部の生涯」「ジュスト高山右近の生涯」などを描き続け、2019年には「津和野の殉教者」や、久賀島の「牢屋の窄」などを第55回個展として発表しました。

 いつしかキリシタン歴史画の専門家との評価を受けている今、振り返ってみると「鎌倉のキリシタン」が完成した時の神父様の一言、「神の絵筆になりなさい」が私の召命だったと納得できるのです。

 奇しくもフランシスコ・ザビエル来日470年、フランシスコ教皇来日で、漸く神の絵筆返上が叶いそうです。