「その時」は、今から40年近く前のことになります。当時私は高校生でした。カトリックの学校に通ってはいましたが、特に興味を持つことなく、また、キリスト教の洗礼も受けていませんでした。
そんな頃、私の先生として、ある神父様との出会いがありました。気取ることなく、ありのままの姿を私たちに見せられる、とても人間味あふれる神父様でした。
「一度、神父様の本業を見に、教会を訪ねてもいいですか」と聞いたことがありました。神父様は「どうぞ、いいですよ。」と答えてくださいました。
ところが、この願いはかなうことがありませんでした。神父様はガンを患い、半年の後に、神さまのみもとに召されてしまいました。高校生の私にとって、とてもショックな出来事でした。
私の心に触れた神父様でしたから、お通夜に出かけて行きました。参列者皆でお祈りしている時、後ろから、おばさま方のヒソヒソ声が聞こえてきました。「この神父様が亡くなって、京都の教会も神父様が少なくなるわね」と話していたのです。
この時が、私にとっての「その時」となりました。お祈り中におしゃべりするなんて、とも思いましたが、心の中で、自問自答している自分がいました。「神父様が少ないのか」「僕でもなれるのだろうか」と。
今まで考えつきもしませんでしたが、ヒソヒソ声を聞いた途端、私の中に「神父になる」という思いが浮かび上がったのです。神さまによって、私の人生が大きく変えられた瞬間でもありました。
私にとって「その時」は、突然やってきました。でも幸いなことに、素直に受け入れることができました。これまた、神様の「はからい」だったのだと思います。今年、神父になって27年を迎えます。