▲をクリックすると音声で聞こえます。

その時『わたし』は

シスター 山本 久美子

今日の心の糧イメージ

 ふとしたことから、私は、自分のとっさの反応にハッとし、自己中心的な罪深い本性に気付く時があります。そんな時、私は、思わぬ非常事態ではどのような言動に出るだろうかと考えさせられます。

 東日本大震災の際、想定以上の大惨事に誰もが心が萎えそうになりました。被災者の方々の苦しみはいかばかりかと胸が痛みます。しかし、同時に人間の美しさ、優しさが感じられる多くの感動的な逸話も伝え聞きました。

 

 一人の自衛隊員は、電話で妻の「助けて」という悲鳴を聞き、1分1秒でも早く自分の家族の元に飛んで行きたいという思いに駆られ、「その心の苦痛から答えを探していた時、再度妻から連絡があり、『大丈夫だから、他の人を助けてあげて』。その言葉に我に返り、そこからはもう迷いがなくなりました」と、家に帰らず、救助活動に没頭できたことを語り、自分の活動を支えた家族に感謝したそうです。

 私は、「もし、その時、私がこの人の妻だったら、『他の人を助けてあげて』と言える勇気があっただろうか。あるいは、私がこの自衛隊員だったら、救助活動を続けることができただろうか」と自らに問いました。もしかしたら、私は自分の家族も顧みない夫をなじってしまうかもしれない、または自分の身の危険を感じて一目散に逃げてしまうかもしれないと思いました。

 災害自体はとても痛ましいことです。しかし、その度に自分の危険さえ臆せず、己を忘れて他者のために立ち向かう人々がいます。

 その勇気ある言動から、私は、「神」の似姿として創られた人間の本質をあらためて味わい、日々の自分のあり方や生き方を、自らに問い直さなくてはと思うのです。