崔 友本枝

今日の心の糧イメージ

 聖書には、神さまは私たちのお父さんであると書かれています。天のお父さんは、いつも私たちを養ってくださいます。

 「空の鳥をよく見なさい。種もまかず、刈り入れもせず倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。」(マタイ6・26)「栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどには着飾ってはいなかった。明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか」(同6・29)と書かれている通りなのです。

 神さまは、私たちに必要なものをなんでもくださいます。私たちは、一歩先に何が起きるかを全く知りませんが、神様の目にはすべてが明らかです。

 ある年の春、結婚式の証人を頼まれたことがありました。秋には特別なパーティーがありました。神さまは、私にそれぞれの日に着て行く服を2年も前から用意してくださっていました。友人のお母さまが着ていたという美しいスーツ数着と、和服の一色をいただいていたのです。

 さて、この聖書の言葉には続きがあります。「だから、思い悩むな。<中略>何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」という言葉です。

 二つの道があるとします。一方は、喜びは感じないけれど、経済的に安定してみえる道、もう一方は神さまへの奉仕になるが、困難の多い道です。こんなとき、天のお父さんが助けてくださるという信頼があるならば、心の深いところから望む道を選べます。慈しみ深いお父さんを知らなかったり、お父さんの愛を忘れてしまったりすると、困難な道を選べません。

 天のお父さんは大変頼もしいお方です。全宇宙が彼のものなのですから。

二人三脚

片柳 弘史 神父

今日の心の糧イメージ

 歩くとき、一人ならすばやく遠くまで行くことができる。だが、片足を誰かの片足と結ばれて二人三脚となれば、そんなに速くは動けないし、それほど遠くまで行くこともできないだろう。三人四脚、五人六脚と人数が増えていけば、なおさらだ。誰か一人が転べば、全員が転んで一休み。倒れた仲間が立ち上がるまで待たなければならない。

 結婚し、家族を持つというのは、そのようなことなのかもしれない。独身であれば、自分のためだけにお金を使い、好きなときに好きなところへ行くことができる。寸暇を惜しんで働いて、出世することだってできるかもしれない。だが、その代わり、その人はどこに行っても、どんなに偉くなっても独りぼっちだ。自分の好きなように生きたという充足感はあっても、喜びを一緒に分かち合える家族はいない。

 結婚すれば、収入は家族全員のために使わなければならないし、自分の好きなときに好きなところへ行くこともできなくなる。家族のために、仕事を犠牲にしなければならないことだってあるだろう。だが、その代わり、その人の隣にはいつでも家族がいる。たとえ遠くへ行けなかったとしても、ほんの小さな幸せだったとしても、家族で分かち合えばその喜びは何倍にも大きく感じられるだろう。一人で遠くまでゆく幸せと、肩を並べてみんなでゆっくり歩いてゆく幸せ、どちらも甲乙つけがたいものがある。

 わたし自身は神父なので独身だ。気楽と言えば気楽だが、ときに寂しさを感じることもある。そこで、足をイエス・キリストの足としっかり結び、イエス・キリストと肩を組んで二人三脚をするよう心がけている。相手のペースについていきにくいこともあるが、いつも隣に誰かがいてくれるという実感には代えがたい。


1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11