歩くとき、一人ならすばやく遠くまで行くことができる。だが、片足を誰かの片足と結ばれて二人三脚となれば、そんなに速くは動けないし、それほど遠くまで行くこともできないだろう。三人四脚、五人六脚と人数が増えていけば、なおさらだ。誰か一人が転べば、全員が転んで一休み。倒れた仲間が立ち上がるまで待たなければならない。
結婚し、家族を持つというのは、そのようなことなのかもしれない。独身であれば、自分のためだけにお金を使い、好きなときに好きなところへ行くことができる。寸暇を惜しんで働いて、出世することだってできるかもしれない。だが、その代わり、その人はどこに行っても、どんなに偉くなっても独りぼっちだ。自分の好きなように生きたという充足感はあっても、喜びを一緒に分かち合える家族はいない。
結婚すれば、収入は家族全員のために使わなければならないし、自分の好きなときに好きなところへ行くこともできなくなる。家族のために、仕事を犠牲にしなければならないことだってあるだろう。だが、その代わり、その人の隣にはいつでも家族がいる。たとえ遠くへ行けなかったとしても、ほんの小さな幸せだったとしても、家族で分かち合えばその喜びは何倍にも大きく感じられるだろう。一人で遠くまでゆく幸せと、肩を並べてみんなでゆっくり歩いてゆく幸せ、どちらも甲乙つけがたいものがある。
わたし自身は神父なので独身だ。気楽と言えば気楽だが、ときに寂しさを感じることもある。そこで、足をイエス・キリストの足としっかり結び、イエス・キリストと肩を組んで二人三脚をするよう心がけている。相手のペースについていきにくいこともあるが、いつも隣に誰かがいてくれるという実感には代えがたい。