ある朝、通勤で電車に乗っていたら、隣に立っていた人が少しもたれてきました。揺れたせいかしら、私の手がじゃまなのかしら、と思った瞬間、その人の頭が音もなく私の手の下にがくりと落ちていきました。
「あっ、倒れた」
回りの人は気付かないのか、誰も反応していません。でも、直感が私に行動せよと伝えていました。そこで、「大丈夫ですか、どうしましたか」と少し大きな声で話しかけました。
すると、私の声を聞いた近くの人たちが弾かれたように駆け寄ってきて、隣の人を起こしはじめました。倒れたという私の理解は正しかったのです。
結局、私は人が倒れたことを周囲に伝える役割を果たしただけでしたが、その瞬間に声を出せたことは良かったと思っています。後でこの話を聞いてくれた駅員さんは、それが一番大事なのだと感謝してくれました。
命にかかわる「そのとき」は、待ったなしです。白杖歩行の私は、駅のホームで線路に落ちる寸前で後ろからストップしてもらって命拾いをしたことが何度もあります。
一方で、路上を徐行運転してきた自動車の音が分からず、ぶつかって軽傷を負ったこともあります。このときには、ぶつかったとたんに10人ほどの人が「あっ」と叫びました。私は、恥ずかしいのと悔しいのとで気持ちが高ぶったとともに、ぶつかるまで見ていないで、あと3秒早くストップと言ってくれれば、けがをせずに済んだのにと思いました。10人も見ていて、誰一人適切なときに声を出せないとは、どうにも情けないではないかと。
直感は、神様の合図だとよく思います。理屈なしに問答無用で行動すべきときがあるのです。そのときしかない「そのとき」を、逃さないようにしたいものです。