息吹

小川 靖忠 神父

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 人口減少に伴い、働く人が不足している職場が増えているとのニュースがよく聞かれます。その中で保育士の働き場も深刻のようです。保育士に魅力的な職場づくりを模索する動きが始まったとのこと。

 或る企業主導型保育施設では、運動会やクリスマス会などの企画は、園の運営会社の担当者が担い、現場の負担を軽減しています。「大切なのは子どもと向き合うこと」であるというわけです。

 以前だと、長時間勤務は当たり前。装飾づくりや書類作成の仕事は家に持ち帰り。毎日、疲れ果ててぐったり。休日も行事の衣装づくりなど、自分の時間を持つことがなかなかできなかったといいます。「子どもと向き合う」なんて二の次だったような感じがするのです。

 学習塾においても、「教える」から「支える」という指導方法に転換がなされているというのです。「自立学習」と呼ばれる方法です。その背景にあるのが、やはり、働く手が少ないということです。

 こうした動きは、ほんの始まりに過ぎないのかもしれませんが、その動きの根底に、「人」を大事にする、「子ども」を信じていこうとする思いが育っているのではないかという、子育てにあたる親、大人の真意を感じたいのです。

 フランシスコ教皇はおっしゃいます。「貧しい人と実際会ってください。それはわたしたちが貧しいことを思い起こし、神の救いは内面の貧しさがあるところでしか働かないことを思うためです」と。

 つまり、新たな体験に進もうとするとき、その実りの息吹は「人」の中に芽生えている、しかも目立たない、自分でも気づいていないかもしれない純粋な気持ちに、込められているといえるのではないでしょうか。

息吹

堀 妙子

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 父は山に山菜やぶどうなどを採りに行くのが好きだった。山ぶどうを採ってくると、丁寧に洗い、布でこして家族に飲ませてくれた。そんな父は58歳でガンの宣告を受けてから、2週間で亡くなった。もう会えないと思うと寂しかったが、5年を過ぎる頃から、寂しさは薄らいだ。

 ある時、東京から米沢の殉教地を案内してもらいたいという、キリシタン研究家の司祭と、2人の信者さんが訪れた。友人と私は案内をかって出た。この時は単に殉教者だったが、やがてペトロ岐部と187殉教者は福者となった。そのうち53名が米沢の殉教者だった。ルイス甘粕右衛門を中心として、教義を学び、病人への奉仕もして、米沢の町をうるおす泉となっていた。

 司祭と2人の信者、3人の巡礼者をわが家に招いているうち、この茶の間でミサを立てようということになった。屏風を立て、テーブルを出し、茶道の茶碗をそろえ、司祭にご聖体の作り方を聞き、私はご聖体を作った。さて、ミサワインということになり、ミサでは混じり気のない純粋なぶどう酒が必要だった。すると、弟は、自分の部屋に山ぶどう液を入れた瓶がずっと置いてあると言った。

 父の作ったぶどう液の瓶が、そのままになっていたのだ。司祭はふたを開けて、「これでいいです」と言い、ミサが始まった。ご聖体を裂き、拝領した。ぶどう酒は司祭が飲み干した。後で味を確かめたら、十字架上のキリストに兵士が差し出した酸いぶどう酒のようだった。その時、父は亡くなっていないと思った。そして父の強い息吹を感じた。

 あれから長い歳月を経て、酸いぶどう酒は、私の人生の最後に登るべきカルワリオ、そして、十字架上の受難の味なのだと思った。


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