息吹

湯川 千恵子

今日の心の糧イメージ

 「春眠暁を覚えず」と言いますが、私はこの頃、よく目覚ましのベルにも気づかず、寝過ごしてしまいます。はっと目覚めて雨戸を繰ると、明るい陽光が既に燦々と輝いています。日の出もずいぶん早くなりました。

 ひと雨毎に乾いた空気が湿気を帯びて、 私の小さな庭にも春の気配が満ちています。つい先日、満開の梅の木に鴬が2羽飛び交うのを見て、そっと見入っていると、一声、

「ホーホケキョ」と鳴いたので大感激。確かに春の訪れを感じた瞬間でした。

 近くの公園の冬枯れていた里山も、池を回って遠くから眺めると、急にうっすらと色付いています。樹木の根が柔らかくなった土から水分を吸い上げて幹や枝先にまで送り始めたので、里山全体がふわっと生気づいて見えるのでしょうか。もうすぐ一斉に芽吹く様々な緑の濃淡が今から楽しみです。

 耳を澄ますと、小鳥たちのさえずりも賑やかになっています。巣作りの準備がはじまったのでしよう。やがて卵を産み、命を繋いでゆくのです。

 自然のまま残されたこの里山の再生の希望が充満している早春のたたずまいは、たまらなく魅力的です。

 里山を蘇らせる春の息吹は、同じ自然の仲間である私たち人間にも分け隔てなく吹き込まれます。このいのちの源から降り注ぐ祝福の光を受けると、私たちも里山の樹木や小鳥たちのように新しい力を与えられ、身心共にリフレッシュされるのではないでしょうか。

 春は世の中の仕組みも新たになる時です。子どもたちは学年も上り、更に社会へと巣立つ季節です。別れや不安もありますが、新たな出会が待っています。新しいいのちの祝福を豊かに受けて、感謝の心を忘れず、何事もプラス思考で受け止めて、新しい一歩を踏み出してほしいものです。

息吹

越前 喜六 神父

今日の心の糧イメージ

 春の陽光を浴びながら、命が息吹くとき、万物は生気を取り戻します。聖書の創世記にもあるように、大地の塵で人を創造された神が、その鼻に「命の息」を吹き込まれたので、人は生きる者となった、とあります。(2・7)

 不思議なことに、日本語では、「生きる」という言葉と「息をする」という言葉は同義語です。ですから、呼吸をするということは、非常に重要なことなのです。そればかりでなく、祈りは呼吸と関係があります。

 それを知ったのは、坐禅をした時でした。坐禅は調身、調息、調心と言います。まず姿勢を正し、呼吸を整え、計らいを捨てるのですが、呼吸を整えるのが、極めて大切なのです。

 簡単に言うと、まず息をゆっくりと吐くのです。それから息を吸うのです。その割合は、吸うのが1で、吐くのが2となります。腹式呼吸ですので、まずゆっくり息を吐きます。そして、少し息を止めます。それから息を吸うのです。

 呼吸という文字は、吐くのが先になっています。吐くというのは、自分を空っぽにすることです。空っぽになったら、自然に空気が鼻から入ってきます。これが精神統一の方法であるだけでなく、健康にも大変良いのです。こういう吐いて吸うという腹式呼吸を20分位していると、頭も空っぽになります。まさに無念無想に近い境地になります。そうすれば、霊感というか、魂からのインスピレーションがハートを通して感じられるようになります。その結果、安らぎ、喜び、愛が心を満たしてきます。そうしたら、それに身を委ねて行動し、生きていくことです。すべてがうまくゆくことでしょう。


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