数年ぶりに故郷の友人の家に遊びに行った。
彼女は14歳年上、実の姉のように親しくしてもらっている。北海道に帰るたびに会ってはいたが、時間を気にせずにゆっくりしたのは何十年ぶりだろう。友人の家に着いたのは夕暮れで、自宅前の小川に半分影が落ちていたが、夕日のきらめきも残っていた。広々とした土地。美しい木々。鳥のさえずりも聞こえる。少し行くと牧場があって、サラブレッドがのんびりと歩いていた。こういう景色を見るのは本当に久しぶりだった。
私は本を書き上げたばかりで、まるで出産した直後のように、脱力感と疲労感に見舞われていた。先が見えないほど広い場所で生まれ育った私が、ゴミゴミした東京に住んで30年になる。狭いところで緊張しながら仕事に明け暮れている。自分が日々どのくらい忍耐しているのかも忘れていた。友人の庭で私は心に入るだけのみずみずしい景色と風の匂いをいっぱいに取り込んだ。目にもしっかり刻んだ。
リビングに戻り、夕食になった。美味しい手料理が用意されていた。私だけに焼いてくれたステーキもある。どんな話をしたのかは思い出せないがとても楽しかった。翌日は焼き立てのパンを味わってから近くの湖を見に行った。私たちにとってはなじみ深い場所で、北海道に住んでいるときは特別な感慨はなかったが、咲き始めた可憐な桜を見ていると春の美しさに目を奪われた。
彼女たち夫婦が心から私を歓迎してくれたおかげで徐々に力がみなぎってきた。
誰かを「歓迎する」ということは、その人の疲れも傷も、何もかもをひっくるめて両手を広げ、すべてを喜んで受けとめることなのだと知った。