息吹

遠藤 政樹

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 今年も日本の四季に欠かせない、桜の美しい時が訪れました。

 しかし、単純に春の息づかいと喜べなくなりました。人間と自然の調和を祝う合唱曲「山の息吹」や、ミサでの典礼聖歌「神の息吹」、「主の息づかい」を歌っている時、喜びと共に、心配する事態が増えてきたことも心に浮かぶようになっています。

 神から命を与えられて生きる息づかいは、心の息づかいでもあります。

 近年私達は大自然の脅威、人間同士の争いに脅かされ、人間の仕業の脅威にも気づき始めました。

 2019年、二酸化炭素効果ガスの濃度が過去最高になり、温暖化が観測史上最高値を更新しました。

 そんな中、フランシスコ教皇様が来日されました。その時のメッセージは、日本中の人に心の息づかいを与えてくださいました。

 その時、日本の弾圧された潜伏キリシタンが400年近く守り伝えてきた聖画「雪のサンタマリア」が京都で修復され、その複製が教皇様に贈呈されました。私はその「雪のサンタマリア」に、チェロ独奏の曲を作曲しました。祈りながらマリア様の息づかいを感じ、音楽として表現したかったのです。

 この社会の中でも、力を合わせて成長する若者の逞しい息づかいが聞こえます。子どもが大人になった時、安心した過ごせる社会を考えている大人の息づかいも聞こえます。

 高齢者の方の中には、「今はただ息をして生きているだけ」と嘆かれる人がいます。私も高齢者ですが、互いにささやかでも、再会を喜び、静かに寄り添うだけで話が弾み、歩んできた人生を懐かしむ時間を持つことが出来ます。

 そこにいつも心の息づかいが聞こえています。

息吹

新井 紀子

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 孫の杏奈ちゃんが、今年の4月、小学校に入学します。昨年の秋、両親と共に、小学校へ見学に行ってきました。

 学校に近づき、最初に目に入ったのは校舎の一番上にあるヨーロッパ風の高い塔でした。「お城みたいな学校だ。あそこに私は通うの。私プリンセスになるのね」。見学の最後に英語の先生とすれ違い、「またいらっしゃい」と英語で話しかけられ満足そうでした。

 私が小学校へ入学するときはどうだったのでしょうか。今から60年以上も前のことです。ベビーブームの真っただ中、小学校へ入学する児童が一番多い時でした。母が体調を崩していたため、父と私は、妹を連れて入学式に行きました。父は妹の世話をするため、私と一緒にいることが出来ません。上履きは父が用意してくれたのですが、大きすぎてぶかぶかでした。

 生まれて初めての集団生活に緊張したまま教室に入ると、先生が怖い顔をして言いました。

 「これからあなたたちは小学生です。学校は遊ぶところではありません。学ぶところです。」私の緊張はさらに高まりました。

 授業は、教室が足りないために2部授業でした。早く学校に着いても教室が使用中のため、教室があくまでいつも校庭で待っていなければなりません。校庭はいつも子供たちであふれていました。1年生である私たちは、居場所がなく校庭の隅にいるしかありません。正直に言えば、学校は少しも楽しくありませんでした。

 杏奈ちゃんが学校へ行くことを喜んでいる。本当に良かったと私は思うのです。杏奈ちゃんに聞きました。

 「学校で何を勉強したいの」「英語を勉強したいの。そしてね、イギリスへ行きたいの」学ぶことに積極的で命の息吹にあふれた杏奈ちゃん。

 入学おめでとう!


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