春の陽光を浴びながら、命が息吹くとき、万物は生気を取り戻します。聖書の創世記にもあるように、大地の塵で人を創造された神が、その鼻に「命の息」を吹き込まれたので、人は生きる者となった、とあります。(2・7)
不思議なことに、日本語では、「生きる」という言葉と「息をする」という言葉は同義語です。ですから、呼吸をするということは、非常に重要なことなのです。そればかりでなく、祈りは呼吸と関係があります。
それを知ったのは、坐禅をした時でした。坐禅は調身、調息、調心と言います。まず姿勢を正し、呼吸を整え、計らいを捨てるのですが、呼吸を整えるのが、極めて大切なのです。
簡単に言うと、まず息をゆっくりと吐くのです。それから息を吸うのです。その割合は、吸うのが1で、吐くのが2となります。腹式呼吸ですので、まずゆっくり息を吐きます。そして、少し息を止めます。それから息を吸うのです。
呼吸という文字は、吐くのが先になっています。吐くというのは、自分を空っぽにすることです。空っぽになったら、自然に空気が鼻から入ってきます。これが精神統一の方法であるだけでなく、健康にも大変良いのです。こういう吐いて吸うという腹式呼吸を20分位していると、頭も空っぽになります。まさに無念無想に近い境地になります。そうすれば、霊感というか、魂からのインスピレーションがハートを通して感じられるようになります。その結果、安らぎ、喜び、愛が心を満たしてきます。そうしたら、それに身を委ねて行動し、生きていくことです。すべてがうまくゆくことでしょう。