「春の息吹」という言葉を知らない少年時代のお話です。
終戦の年、神奈川県の葉山から雪深い越後の国、父親の郷里に疎開しました。葉山には御用邸もあり、戦争中でしたが、私にはとても心地よい生活環境でした。
父親が戦犯になりそうだ、と慌てて疎開します。初めての大雪や猛烈な吹雪を体験し、小学3年生の私は、環境の激変に会い、相当混乱した心の生活を送っていました。学校の帰り、配給のお米を背負い、雪道に躓いてひっくり返り、起き上がれない為に雪に埋もれていく恐怖と哀しさを体験しました。そして春になり、雪の下から待っていたかのようなフキノトウを見た時の、あのほっとしたような喜びを少年ながら感じました。この何ともいえない春の息吹の体感は、生涯の忘れられない感情です。
この息吹という感情の後には、これから何か大きな出来事や喜びがあるな、という予感です。以来、私は予感という感情をとても大切にしています。
美しいもの、例えば小説、絵画、音楽、友との会話、大自然などに触れますと、とても奥深い魂の感動を覚えます。平凡な日常生活で感じたり考えたりする中で、この春の息吹のような生活感覚が、実は人を幸せにしていくようです。
この体験の解釈を深く意識出来た人と、単に日常生活のマンネリズムに流され、生きる喜びが人生にはないと諦めて、孤立感や停滞感、果ては絶望感を感じている人々も沢山おられます。この平凡な日常生活を停滞感と解釈するか、人生の大きな喜びを見出す知恵の源泉と解釈するかで精神衛生は相当違ってくるようです。
少年時代、初めて意識した春の息吹、その息吹の背後にあった生きる喜び、洗礼への道、色々の息吹の後に体験した人生に、深い神秘を感じます。