最初の人間アダムは、土から造られたと聖書にある。(創世記2・7)神は土をこねて人の形を造り、最後に鼻から「命の息」を吹き入れた。すると人間は「生きる者」になったという。日々の生活の中での体験に照らして、これは納得のゆく記述だ。日々の生活の中で、わたしたちはときどき、疲れ果て、生きる気力を失って、土くれのようになってしまうことがある。そんなとき、どこからともなく「命の息」が吹いてきて、生きる力を取り戻す。まるで、創造のプロセスをなぞるようなことがときどき起こるのだ。
たとえば、いくつもの仕事が重なり、「もう限界だ。なんでこんな目に会わなきゃいけないんだ」と心の中で思いながら歩いているときに、たまたますれ違った先輩からにっこりほほ笑みかけられる。そんなとき、心に「命の息」が吹き込まれる。荒み切った心は癒され、「もうちょっと頑張ってみよう」という気持ちが湧き上がってくるのだ。
道端に咲く草花を通しても、「命の息」が吹くことがある。たとえば、疲れのとれない体に鞭を打ち、「今日もまた仕事か」と重い足取りで出かけるときに、駐車場の片隅に咲いたフキノトウが目に留まる。さわやかな緑色に心を打たれ、「ああ、春が近づいたなぁ」と感動して立ち止まる。そんなとき、心に「命の息」が吹き込まれる。心が温まり、「よし今日も頑張ろう」という気持ちが湧き上がってくるのだ。
神さまは、わたしたちを造ったままで放って置くことはない。わたしたちが土に戻りかけたときには、必ず「命の息」を吹き込んで、「生きる者」に戻してくださるのだ。「命の息」を深く吸いこみ、新しい力に満たされて、今日の一日を始めたい。