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息吹

末盛 千枝子

今日の心の糧イメージ

 私の机の上に、2015年2月22日と書き込みのあるカトリック新聞の切り抜きが飾ってあります。

 それは、教皇フランシスコが即位された直後のものだと思いますが、一般謁見での一コマの写真です。私がなぜこの写真を貴重に思ったかというと、5~6歳でしょうか、小さな少女が愛おしそうに新教皇の頬に手を触れているのですが、それはまるで、この少女が、新教皇を励まし、行く手に待っているに違いないたくさんの困難を前もってねぎらっているかのように思えたのです。私には、この少女が、まるで、キリストの母マリアの少女時代のように見えたのです。今、この原稿を書こうと思って、改めてその切り抜きを見ていますが、やはりそう見えるのです。彼女が、じっとパパ様の目を見つめて、励ましているようにしか見えないのです。

 本当に不思議なことですが、あの方は初めてのアメリカ大陸出身の教皇ですし、どれほど大変なことだったでしょうか。それに、あの方がご自分の教皇としての名前として「フランシスコ」をお選びになった時点で、どのような教皇をご自分の理想としておられるかがはっきりしたと思いました。あの時の感激は忘れません。

 そして、前任者のヨハネパウロ二世の時にも、不思議なことを思いました。あの方は世界中がびっくりしましたが、共産圏の国からの枢機卿でした。私の父は、パウロ六世をとても尊敬しておりましたので、なんだか、共産圏からの教皇ということに抵抗があるようでした。でも、私には、今の世界で共産圏から教皇が選ばれるということは、神様が今も教会の務めを大切に思っておられることではないかと思ったのです。

 お二人のどちらの場合にも、まるで、神の息吹のようなものを感じたのです。