もう30年ぐらい前のことでしょうか、神父に成り立ての私は先輩に頼まれて、都心のマンションに一人暮らしの熟年の方を訪ねていきました。とっても気の良い女性の方で、私を歓迎してくださいました。
生計を立てるために生命保険のセールスを長年やっていたとのことで、話題が本当に豊富でした。また趣味で茶道をたしなんでおられ、しゃきっとした姿勢が印象的でした。
その後、一月に一度訪ねることとなり、昼前に行って、小一時間ほど世間話をし、お昼をご馳走になり、午後からまた会話を楽しむといった具合で、退屈しませんでした。
あるとき、「松浦さんは、これから海外に行くことがあると思うので、日本の文化、お茶をたしなむ必要がありそうよ」とお盆に茶器をのせて行う簡単な作法があることを話してくれました。
それで私も、「お茶のこころって何ですか」と聞くと、「松浦さんちょっと」と私を玄関に連れて行くのです。
玄関で何するのだろうと思っていると、私の靴の脱ぎ方を見て、「松浦さんの靴の脱ぎ方は、ちゃんと次に来るかもしれない人のために空けているから及第」、そして「お茶のこころは、おもてなしのこころよ」と言うのです。
お茶は、静かに座って、飲むと言った外面的なことに現れる作法だけでなく、その人の心が、生活の中に現れることだと言い、その女性は靴の脱ぎ方で教えてくれたのです。
それ以降、靴の脱ぎ方はもちろんのこと、人と会話をするときには、人の目を見て、丁寧に、会話するようになりました。
当時その方に伺った、いろいろな話も記憶に新しく、その女性との出会いによって培われたお茶の心、おもてなしの心は今も私の内に生きています。