2018年から2年間、福音館書店の児童向け雑誌の折込付録にショートエッセイを連載しました。そのための取材の中で、私には未知の世界だった保育園での体験は大変印象的でした。
大人の仕事の都合で親と引き離された子どもが預けられるさみしい場所と勝手にイメージしていた保育園は、実際行ってみると、とても素敵な空間でした。子どもたちは何時に来ても歓迎され、どんな子も保育士さんからいっぱいの愛情を受けながら一日を過ごします。そして、延長保育の時間まで優しく見守られ、みんな一緒に保護者の方たちが迎えに来るのを待っているのでした。
保育園はさみしい場所どころか、場合によっては家族より長い時間ともに過ごす友達がいて、親のような愛情で育んでくれる保育士さんがいる「日常の場所」だったのです。
泣く子もけんかする子もお漏らしする子も、親との不幸な関係のため家に居場所のない子も、保育園では全員が歓迎されます。ある先生は、「家庭でまともな食事ができない子もいるので、せめて保育園ではきちんとした食事をおいしく食べてもらおうと思って」と、食材や調理に可能なかぎりこだわって、素晴らしいメニューを毎日作っておられました。保育園では、経営という側面とは別に、子どもの存在そのものが歓迎されているのです。
「生まれてくる子はみんな天使なんだ。だから、しっかり可愛がってあげなさい」
とは、母方の祖父が私を産んだ母に言った言葉だそうです。その一言で、母はいま私を産んだということを実感し、歓迎し、真の意味で私の母になってくれたのだと思います。
歓迎するとは、存在そのものを祝福することなのでしょう。
私たちへの神様の愛も、この「歓迎」の感覚と通じるのかもしれません。