お盆やお正月の時、我が家にお客さんの訪問があると、父は決まって、そのお客さんがいつ帰るのかを頻りに気にしておりました。また、親戚の家を訪問する時も、早く帰りたがっていました。ある意味、父は、もてなしをする事も、される事も苦手な人でした。
その父の血を引く私が、聖アウグスチノ修道会と言う、客人のもてなしを大切にする会にいるのは、不思議な事です。
ところで、聖書の中には、人をもてなす事の大切さが多々記されていますが、私にとって最も印象的なのは、マルタとマリア姉妹の話です。(ルカ10・38~42)
もてなしの為、せわしく立ち働いていたマルタが、イエス様の足元に座って、その話に聞き入っていたマリアに対して憤慨し、「(マリアが)手伝ってくれるように仰って下さい」とイエス様に言い放ちます。それに対してイエス様は、マルタが多くの事に思い悩み、心を乱している事を指摘された後、「マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない」と仰っています。イエス様が仰った事を、私達はどのように受け取れば良いのでしょうか。
一つには、誰かを心をこめてもてなそうとするなら、相手の話に耳を傾ける必要があると言う事です。やみくもにもてなすのではなく、食べ物であれば、相手の好みなどを尋ねながら、もてなす必要があります。
もう一つは、人によって、どのようなもてなしが良いのか、もてなされる本人でさえ気づいていない事もあります。例えば、アレルギーに関して、稀な事かもしれませんが、本人ももてなす側も、それを知らない事があります。
それゆえ、人をもてなす時、イエス様に尋ねたいと思います。
「この方を、どのようにもてなせば良いでしょうか」と。