私の父母は人間が大好きで、我家へやって来る人を大歓迎した。
「よう来た、よう来た、早う上がんなはれ。飲みなはれ、食べなはれ、泊まりなはれ」と誰であっても笑顔で迎え入れた。たった今、刑務所から出てきた人であっても。
生意気盛りの思春期の頃、そんな父母に説教したことがあった。「誰でん、彼でん、考えなしに泊まらせて、何かあったらどげんするとね。もっと、ようよう考えて、人とはつきあわんばよ」
すると母はすました声で答えた。
「あん人どんの世話は誰がしとっとね」
「父ちゃんと母ちゃん」
「それがわかっとっとじゃったら、もう言うなよ。人には情けばかけんばよ」 それで私は黙ってしまった。
父母は「男ん人じゃったらイエズスさま、女ん人じゃったらマリアさま、子どんじゃったら御子さま(幼少時代のイエズスさま)じゃけんね。姿ば変えてこの世に来とるとよ」という確固とした思いを抱いていた。
父母は人をもてあますということが全くなかった。
現在に目を移すと、親が子をもてあまし、子が親をもてあますということがあり、様々な事件が起きている。
父は50年前、母は17年前に召されたが、現在生きていてこの現実を知ったら、嘆き悲しむであろう。
生産性で人間をはかるような風潮が生まれていることを知ったらなおさらに・・・。
単純にイエズスさま、マリアさま、御子さまの生まれ変わりと信じて、誰であっても我家へやって来た人たちを大歓迎した父母。
父母の万分の一でも見倣いたい。