聖書には書かれていませんが、『ペトロ行伝』という書物に記されている事によりますと、ペトロが迫害の激化したローマから避難する為、アッピア街道を進んでいた時、復活したイエス様が道の反対側から歩んで来られました。その時、ペトロが、「主よ、何処に行かれるのですか」と尋ねると、イエス様は「もう一度十字架にかけられる為、ローマへ行く」と答えられました。この言葉を聴き、我に返ると共に自らの使命を思い出したペトロは、ローマに引き返し、そこで殉教したと伝えられています。
ペトロが、イエス様の捕縛前、どのようにイエス様を否んだかは、福音書の中に詳しく記されています。
ペトロは、「あなたの為なら命を捨てます」と言いました。(ヨハネ13.37)それに対してイエス様は、「はっきり言っておく。鶏が鳴くまでに、あなたは三度私の事を知らないと言うだろう」と預言され、(同13・38)その通りになりました。この時ペトロは、イエス様の言葉を思い出し、「激しく泣いた」のです。(ルカ22・62)
その際、イエス様がペトロに向けられた目を、現代教会は「憐れみの目」として黙想します。ペトロは、この時のイエス様の憐れみの眼差しを忘れる事が出来なかったに違いありません。
私達は、ペトロと同じように、心身共に疲れ果てている時、もうこれ以上、自らの十字架を担って前進できないという思いに駆られる事があります。そのような時、イエス様がペトロに向けられた憐れみの眼差しを思い出したいと思います。私への愛の為に、これほどまでに苦しんで下さったイエス様の事を思い出し、苦しみが臨む時も、愛を持って更に一歩前進できたらと思います。