時には大人にもメルヘンが必要だと思うことがある。
これはメルヘンではなく、あるシスターに伺ったおよそ30年前のほんとうの話である。
シスターがアルゼンチンに派遣されている時、妹の順子さんが、27歳で胃ガンになった。当時、ご両親は洗礼を受けるための準備をしていた。お母様は司祭に、娘が重い病で余命いくばくもないことを話した。司祭は、当時、聖人への階段をのぼり始めたチマッティ神父に、奇跡的治癒を願うように言われた。するとお母様は、「世界には病気の人が大勢いるのだから、娘だけの奇跡は望みません。ただ、良き死を迎えられるように」と言い、司祭からチマッティ神父のご絵をもらって祈っていた。
別の妹さんもシスターで、当時日本にいたので、時々、順子さんを見舞い、洗礼を授けた。洗礼名はマリア・グラチア。
それから数カ月して、順子さんの死が近づいてきた。ご両親とそのシスターが見守っていた時、順子さんが言った。
「知らないおじさんがあいさつするの」
シスター 「どんなおじさん?」
順子 「テカテカおじさん。」
シスター 「チマッティ神父さまかしら?」
順子 「チマッティさん!」
母親 「順子、どこにいるの?」
順子 「まあ、きれい。お花がいっぱい」
順子さんは息を引き取り、チマッティ神父の案内で天上へと旅立った。死の瞬間、アルゼンチンにいるシスターはルハンのバジリカで祈っていた。
順子さんはベッドという祭壇にいて、お父様は娘の詳細な記録を書き、お母様は良き死を願い、5人の兄弟姉妹もそれぞれの場で祈っている。
私たちは「共にありたい」と願う時、その要にいる、主イエスの祭壇に集い、共に祈りたいものである。