ここ10年来お世話になっている歩行訓練士のSさんに、ふたたび助けをいただくことになりました。歩行訓練士とは、白杖で歩く私たちに、熟練度に応じて杖の使い方から高度なスキルのいる道路の歩行までを指導し、自由に移動できるよう訓練する職業です。Sさんには職場の移転や自宅の引越しですっかりお世話になり、ワークショップにもお呼びした「仲」です。
今回また職場が移転することになり、電車の乗り換えや駅からオフィスまでの道などで彼女の訓練を受けました。道を言葉で説明した後、私が地図や、杖で分かる目印をおぼえるまで、何度でも往復に付き合ってくださいます。ぎりぎりまで静かに見ていて、道を間違えたり、知らずに危険な方向にいこうとしてしまったときだけ、「そこは」と小さな声でストップをかけてから正しい道を教えます。
うまく移動できると「ばっちりですね。もう一回やってみましょうか」と完全に確信が持てるまで付き合ってくれます。心配な場所でも的確な工夫を提案し、ほとんどの場合「歩けるぞ」という希望を持たせてくださるのです。この「希望」を持たせられることは、さすがプロだといつも感服します。
訓練を終えて一人家路についたとき、私は突然、思ったのです。「イエス様も、Sさんみたいに私と歩いておられるのかも」
無理に引っ張らず、頭ごなしに正論を叩きつけず、黙って一緒に歩きながら、たまーに「あのさあ」とヒントをくれる。
歩行訓練は特殊な例ですが、みなさんにもこのように、黙って一緒にいてくれる人がいるのではないでしょうか。その人との歩みを思い出したら、「主はともにある」とよく言われる言葉の手ごたえが、少しでもはっきり伝わってくるのかも。そんなふうに思ったりするのでした。