教皇フランシスコはバチカンで、欧州フードバンク連盟の関係者やボランティアたちに述べられました。「浪費がさらけ出すのは、物事や物をもたない人への無関心です。食べ物を捨てるのは人間を捨てることを意味します」と。食料の浪費を非難し、フードバンクの活動を次のように語ってたたえています。「皆さんは浪費の悪循環に投げ入れられるものを救い出し、物を無駄にしない『良い循環』に導き入れています」と。
わたしたちの周りを見渡しますと、確かに、食料の浪費ではないかと思わせるような光景が目に入ります。人間の都合によって、いとも簡単に消費され、廃棄処分になっているさまは、そうする人の独り善がりと言われても、仕方ないのかなと思ってしまいます。
わたしたちの身近なところで、悲惨な事件事故が多発しています。その度に意識され、叫ばれることに「寄り添う」という言葉があり、その姿があります。事件事故は悲惨なだけに、人々の関心を引き寄せます。それに比べ、「食料廃棄」は、日常的な出来事の一つみたいにパスされてしまいそうです。日々、酸素のありがたみは意識しないのに、欠乏するとにわかに慌ててしまうように、食糧難になると、不平不満が出てきます。
わたしたちは、意識している、していないに関係なく、現実的には、互いに寄り添って、助け合って生きています。農家の方がいて、野菜類のお世話になります。漁師の方がいておいしい新鮮な魚をいただけます。
物理的に「共にある」こともあれば、心理的に「共にある」ことだってあり得ます。人として、お互いの「絆」は消えることがないということでしょう。だから、何処までも共にあり続けるのです。人間を捨てないために。