「親切は本気でしなければいけない。僅かだけ与える好意は、かえって相手を不快にする」。これは、私の戒めの一つである。誰かに親切にしようとして、失敗した経験が何度もあり、その苦さつらさからこの戒めは生まれている。最近もまた失敗をしてしまった。
雨も風も強い日だった。歩道で信号を待っていると、隣に車椅子の高齢の女性と傘をさしながら車椅子を押す若い男性が並んだのである。雨は横殴りで、1本の傘では防ぎきれない。私は思わず自分の傘を半分さしかけた。ところが男性が「いえ、大丈夫ですから」と強く拒否をする。信号待ちをしている間だけでも、と思ったが、再三の辞退に会い、それは叶わなかった。別れ際に、女性が気を遣って会釈して下さったが、膝も足もかなり濡れておられ、私の方が申し訳ない気持ちで一杯になった。
声のかけ方が悪かったのだろうか、どうすればよかったのかとクヨクヨ考えてから、やっと自分の戒めを思い出した。私は「ほんの短い間でいいから」傘に入ってもらおうとしたのだが、彼らは「ほんの短い間だから」断ったのである。本当に助けを必要としている人にとって、形だけの親切など不快であり、迷惑に過ぎなかったのだ。
私たちは一つの身体を持ち一つの魂を持ってこの地上に留まっている、という点では同じだが、置かれている場所にはずいぶんな違いがある。人生は不公平だ、と思っている人は多い。様々な条件のもとに生きている者が「共にある」時、最も必要なのは相手の身になった理解と思いやりなのだ。私たちは何のために「共にある」のか、それを考えれば、自然に手は伸ばされていくように思う。