祖母は11歳のとき、両親と4人の兄弟とともに、松島を旅行した。その時の印象を、「こんなに幸せでいいのだろうかと、怖くなった」と、幼い私に話してくれた。次の年、母親が亡くなり、12歳の祖母はその後、親類を転々としながら暮らした。女学校には行けなかったので、その卒業式を見に、講堂の窓からつま先立ちで見ていたという。わたしは祖母の悲しみを思った。
しかし、その後、祖母の抱く幸せや平和の基準が違っているのを知ることになる。
わたしは幼い頃から、米沢の両親の家から、福島にある祖父母の家に、何度も泊まりに行った。家からほど近いところには修道院があり、時々、外を歩いているとき、フランス人の修道女たちとすれ違ったりする。祖母は修道女が大好きだった。彼女たちに、祖母は輝くようなほほえみをもって挨拶した。祖母は修道女から、その修道会が経営するミッション・スクールの卒業式に、毎年招待されていた。「バラのアーチをくぐって卒業証書をもらうのだ」と話してくれた。
その後、しばらくして、祖父母が米沢に来て同居するようになった。祖母は仏教徒のはずなのに、私が中学生の頃、聖書とは言わずに、「バイブルは読んだほういい」と言った。家に小さな新約聖書があったので、わたしはこの聖書を読んだ。祖母は何も言わなかったが、これは祖母のものだったと思う。わたしに最初にキリストを知らせてくれたのは、祖母だったと、今になって気がついた。
人間的な意味での幸せや平和は怖いと、幼いわたしに祖母は繰り返し教えてくれた。世間的な幸せや平和は崩れる。自分を捨てて永遠の存在に向かう平和こそ本物だと、祖母は幼い頃から繰り返し教えてくれていた。