わたしの今の役割

三宮 麻由子

今日の心の糧イメージ

 エッセイストとして講演しはじめたころ、私は壁にぶつかりました。人見知りな面があり、大勢の人の前に出ると戸惑ってしまうのです。スポットライトを浴びて拍手を聞いた瞬間に帰りたくなる。最初の一年はそんなふうでした。

 ところがだんだん、講演を聞いたみなさんが、私のメッセージをしっかりと受信して、それぞれの人生に生かそうと決意を新たにしてくれていることが分かってきました。そして、「ほかの人たちにも勇気を与えてください」と励ましてくれるのでした。

 そんな声を聞くうちに、私は気持ちが変わってきました。

「自分には伝えたいメッセージがある。みんなと分かち合いたいテーマがある。エッセイでも講演でも、それを言葉にするのが私の仕事。ならば人前で戸惑っている場合ではないよね。しっかり言葉を投げて、受け止めてもらわなきゃ」

 それ以来、講演で戸惑うことはなくなりました。色んな反応に驚いたり、後から「あのときこうすれば」と思ったりすることはありますが、もう帰りたいとは思わなくなりました。

 そんなある日、新約聖書、ルカによる福音書12章12節の言葉にあらためて出会いました。

 「言うべきことは、聖霊がそのときに教えてくださる」

 なるほど、講演ではメモの通りにいかないことばかりだし、エッセイを書いていても思わぬ展開になったりします。でも、テーマへの思いを伝えるという私の役割は変わっておらず、仕事は進んでいるのです。こうして私はこの役割を理解し、技術を磨いておけば良いのだと悟りました。そこから先は、神様が一緒に働いてくださるのだと。

 ほかの場面で別の役割が分かるときも同じです。きっと、これが私の役割の見つけ方なのでしょう。

わたしの今の役割

熊本 洋

今日の心の糧イメージ

 高齢化社会。人生100年時代、90歳近くになると、毎朝、目を覚ますと、カレンダーに目を向け、その日の日付、何月何日、何曜日かを確認するとともに、その日一日の平安を祈るのですが、その祈りの中で、余生はいくばくあるだろうか、あと何年生きられるのだろうかという考えが、一瞬、頭をよぎります。そして、残り少なくなりつつある人生を、どのように、生きるべきか。この真剣に考えなければならない重要課題が、しばし、頭をもたげます。その回答は、オイソレと、得られるものではありませんが、じっくりと検討熟慮すべきことがらであります。

 人生、いかに生くべきかについては、それぞれの人生観によって異なってきますが、だれしも、それぞれの才能、能力が存分に発揮され、個性豊かな、満足のいく、幸せな生活を願望しています。

 しかし、世の中、自分の思うようには行かず、妨げや邪魔者だらけであります。その中で、この自分をどのように生かし、人々と共にいかに生き抜くか。これは、並大抵なことではありません。自己反省とともに、自分の深い知恵と信念、信仰をもって、チャレンジせねばなりません。

 真剣な学習、研究と共に、次元の違う古い言葉に感じますが、徳を修める修徳についても、ないがしろにせず、これによって、ひときわ、自己完成を目指し、日々の学習に大きな成果をもたらしたいと思います。

 儒教の経典にある「荀に日に新たに、日日に新たに、又日に新たなり」という有名な言葉を胸に、毎日、新たに気を入れ替え、新たな気持ちで事に望むことをわきまえ、日をおって、絶えず進歩することを常に忘れずにいたいものであります。


前の2件 3  4  5  6  7  8  9  10  11  12  13