わたしの今の役割

村田 佳代子

今日の心の糧イメージ

  朝食を整え、家族に声をかける。皆で食前の祈りを捧げゆっくりと朝食をとれるのは週に2、3回。

 授業がある日は私だけ早く朝食を済ませ車で出発。又は我が家のアトリエでモチーフを用意したりイーゼルを並べたりして、始業の準備をする。ウイークデイはこうして私の一日が始まる。

 4時間教える日、6時間、そして8時間教える日もあるので、本来の主婦として家事に取り組む時間が限られるのだが、掃除・洗濯・料理は当然のことで、裁縫や部屋の模様替え、買い物やご近所との交流もある。教会の奉仕や所属団体などの会議、そのうえに自身の作品制作に入ると、更に時間調整が問題になる。一日が30時間あればと思いつつ、その日にと決めたことは一日でやり遂げる決意で取り組むので、どうしても睡眠が犠牲になる。しかし、今の私にはどれも避けることの出来ない役割である。

 振り返ると50年間大体同じ様に過ごし、年に1、2度倒れ、過労と診断されて、2、3日眠っては立ち直り、大病をすることもなく今日まで生かされてきた。全て感謝に尽きる。

 聖書の四福音書の中でキリストが繰り返し語られるのは、天の国についてのたとえ話であり、人は、悔い改めれば分け隔てなく天国の住人となり、永遠の生命を生きられること、そのためには「思い悩むな」「人を裁くな、隣人を愛しなさい」「求めなさい」と教えて下さっている。この教えに感謝し、神を生涯の支えとする時、自らの召命(何の為に生かされているか)に気づかされる。

 そこで再度、私の今の役割は、「誰にもこの世に生を受けた意味があり、それを自覚して励むなら神様は必ず見守り助け生かして下さる、私もその一例だ」と発信することであろう。

わたしの今の役割

越前 喜六 神父

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 わたしは、カトリックの神父で、イエズス会という修道会の会員でありますから、当然、わたしの役割は、清貧、貞潔、従順という誓願の下に、修道院という共同体の中で修道生活をすることです。しかし、それを生活の土台にしながらも、神父であるから、人々に主イエス・キリストの福音を宣べ伝える伝道という役割と使命があります。

 新約聖書の聖パウロの手紙にあるように、人々は主キリストが伝える神さまの福音を受け入れ、信仰することによって、死後も永遠の命、すなわち天国に救われます。しかし、そのためには、福音を現実の生活に根ざした形で、人々に語り、教え、導かなければなりません。これが神父のいちばん重要な役割です。

 そういうことは、書物を読むだけでも可能なのではないかと思われるかもしれません。若い時のわたしは、そうでした。実際、わたしの町には教会がなかったので、そうせざるを得ませんでした。本を読み、独りでお祈りするしかありませんでした。けれども、それは作家の遠藤周作が言うように、無免許で車を運転するようなものでした。やはり、機会があれば教会に行き、そこで、神父の教え、導きの許で、本当の正しい信仰が得られると思います。

 わたし自身が18歳で経験したのはそういうことでした。

 わたしは神父になって50年になりますが、いちばん大切な伝道を後回しにしたことは一度もありません。学校の教員であった時も授業の傍ら、人間というのは何者か、どういう生き方をすれば、現世で愛、平安、喜び、自由が得られるかを、様々な角度から話してきました。後に卒業生に会うと、「その時の先生の話が一番印象に残っています」と、言われました。


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