わたしの今の役割

遠山 満 神父

今日の心の糧イメージ

 現代人が心から求めているもの、それは、自分の居場所ではないでしょうか。

 以前、路上生活をされている方々の炊き出しに参加した時、一人のスタッフの方が、「ホームレスとハウスレスは違います」と言われ、ドキッとした事を覚えています。もし、単に住む家を持たない人達が、「ハウスレス」と呼ばれるとしたら、「ホームレス」は一体どのような意味になるのでしょうか。それは、心から寛げる場を持たない人かもしれません。老年期に入ると、誰もが求めるのは、竟の住処です。果たして私達は、この人生の中で自分の居場所を見出す事ができるのでしょうか。

 韓流ドラマの先駆けとなった『冬のソナタ』と言う番組の中で、主演の男優さんが女優さんに、「将来住むとしたら、どんな家が良い」と尋ねたのに対し、女優さんは「愛する人の心の中が一番良い住処」と答えました。私はその時、「福音的な対話だな」と思いました。

 イエス様は、弟子達に、「私が父の内におり、父が私の内におられる」(ヨハネ14・10)と繰り返し教えられました。イエス様は、常に御父の事を考えておられましたので、御父がイエス様の心の中に住まわれ、御父に心から愛されていらしたイエス様も、御父の心の中に住んでおられました。イエス様は、私達を、御父の心の中に住まわせようとして、この世にお出でになりました。

 弟子達に仰っています。「私の父の家には住む所が沢山ある。もしなければ、あなた方の為に場所を用意しに行くと言ったであろうか」(ヨハネ14・2)

 私達は、御父を愛する事によって、私達を心から愛して下さっている御父の家に住む事ができるようになります。この真実を、多くの人に伝えていきたいと思います。

わたしの今の役割

岡野 絵里子

今日の心の糧イメージ

 それぞれの命を与えられて、人がこの地上で過ごす時間。永遠のように長く感じることもあれば、儚い一瞬にすぎないと思うこともある。だがそれらの時間も、命も、私たちに贈られた、いわば贈り物なのだ。

 この贈り物をどう使えばいいだろう。使い方は無限にあるだろうが、よき使い方の一つは「与えられた役割を果たす」ことだと私は思っている。

 私が初めて「役割」を自覚したのは、5歳の幼稚園児の時だった。妹が生まれたのである。もう自分は家の中で一番幼い子どもではない、これからは小さな妹に気を配り、お世話もしてあげるのだ、と誇らしく思っていた。

 「役割」は思いもかけない時に降って来て、与えられることが多いようだ。きょうだいなどはその例だろう。そしてまた、何かの役割を引き受けるということは、その仕事のむしろつらく大変な部分を引き受ける覚悟をすることではないだろうか。

 子ども時代の5歳の年齢差は大きい。年上の子どもは、遊び相手にも話し相手にもならない年下の子を忍耐しながら世話をし続ける。それなのに「まあ、同年齢の友だちがいないから、小さな子相手に遊んでいるのね」等と心ない大人から言われ、情けない思いをしたこともあった。

 だがそのような経験は人を成長させるものだ。この後、幸いなことに私も妻や親になり、また職場や地域などの様々な仕事を通して、与えられた役割を果たすつらさと幸福を味わった。それは時間の贈り物の力でもあり、沢山の方々に助けられたおかげと感謝している。

 そして、あの5歳の日がささやかな始まりだったのだと懐かしく思い出す。


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