わたしの今の役割

植村 高雄

今日の心の糧イメージ

 私は今、何をしたらいいのだろうと自分の生き方について悩みます。しかし何故か自分の使命感を大きな声で周囲に豪語する人とはあまり付き合いたくありません。

 加齢による病気、自然災害、そして、生き甲斐について悩んでいる人々を沢山知っていますし、この戸惑いは、私がお付き合いする人々の日常です。

 さて、「生き甲斐の心理学」という分野がありますが、そこでの研究課題は、人は何のために生きているのか、自分の生き甲斐はなにか、自分は、自分の魂、過去の思い出、身体を大事にしているか、という3点から色々研究していきます。人類の永遠の課題ともいえる難問を、学問としてどう対処するかは、なかなか難しい領域なのですが、神様がいつの時代でも問い続けているような気がします。

 人の身体は神の神殿だと私は考えて生きていますし、その難問への答えは、小学生から高齢者までの自問自答をしている人に何らかの気づきを神様は与えているようです。

 しかし国によっては感情を蔑視している文化もあり、感情の取り扱い方法を勉強する必要があります。湧き出す感情には実に深い意味があり、その神聖で貴重な感情の解釈を巡り世界中で研究されていますが、「プロセススケールという理論」では、7つの視点から研究しています。

 体験の解釈を変えると世界が変わるといわれているように、感情を抑え込むことなく、湧き出す感情の意味を賢明な解釈で対処し、明るく自然にのびのびと生きる方法を勉強させるのです。

 わたしの今の役割は自分を激励しつつ、さらなる勉強と研究を深め、大勢の人々の明るい人生創造に関わることかもしれません。

 そんな私を愛である神様が助けて下さる事を信じつつ、この役割を担って生きていきたいものです。

わたしの今の役割

森田 直樹 神父

今日の心の糧イメージ

 慌ただしく過ぎ去っていく毎日の生活の中で、ふと立ち止まって、私の今の役割は何なのだろうか、と考えてみました。

 実は、若い時から、一つの確信のようなものが、私の中にありました。それは、私たち一人ひとりにはそれぞれ固有の役割があって、それを誰かに代わってもらうことはできず、一人ひとりが自らの持つ良さを通して、実現していくというものです。

 自分の短所や欠点には気づきやすいのですが、なかなか自分の良さを見出すことは難しいものです。それでもあえて、考えてみると、自分自身の穏やかな性格が見えてきました。もちろん、時には激しく怒ることもありますし、心の中が大嵐の時もあります。でも基本的には、穏やかに話す傾向があると思います。

 このような私の一面を通して、どんな役割があるか、もう少し考えてみると、イエスさまのゆたかなゆるしや、慈しみを伝えていく役割が見えてきました。

 私が出会っているイエスさまは、時に怒り、時に激しく心動かされる方ではありますが、基本的には、穏やかで心ひろい方だと私は思っています。

 罪を犯したり、道を誤ったりした人たちを優しく導き、罪をゆるし、新しい生き方へと招いてくださいます。自らを裏切っていった弟子たちをとがめることなく、憐れみのまなざしで彼らを見つめ、新しい使命へと招かれます。

 また、善人にも悪人にも雨を降らせ、御自分が造られた人間一人一人に、細やかに心を配られる父である神を私たちに示されます。

 私の今の役割は、イエスさまに倣って、出会っていく一人一人に、この神さまの豊かなゆるし、深い慈しみを伝えていくことなのかな、と考えています。この役割が、神さまの御心にかないますようにと願います。


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