私の五島列島の実家の墓には、私の書き文字で「まわりをあたためていた家族、命ゆたかに生きて、今ここに肩寄せ合って眠る」と彫られている。
これは母の願いであった。
「せっかく、あんたが作家になったとじゃけん、あんたが考えて何か書いて残してくれんね」といい、聖書を開いたような形の石の彫刻に彫ってもらったのである。
私の父母は、本当にまわりをあたためて、人の世話にあけくれた一生であった。
私のきょうだいは5人。誰も世間でいうところの立身出世はしなかったけれど、それぞれの場所でまわりをあたためて懸命に生きたのではないかと思う。
私は72歳。今のわたしの役割を考えた時、ささやかでもまわりをあたためる人間でありたいと思って暮らしている。
まず家庭。夫や息子、4匹の猫を大切にしたいし、隣近所の人とも仲良く暮らしたい。
朝、家の前を掃除していると、登校中の子どもたちや、近くの大病院に勤める人たち、出勤中の人たちが通る。
顔見知りの人たちとは言葉をかわし、そうでない人たちに対してはその人たちの後姿に祈る。
心の中で祈ることは、場所も道具も要らないし、とてもたやすく出来ることである。
幼少の頃から祈るということを教えられて育った私たちは何と幸福だろうと思う。
自分のため、他人のため、祈る心があれば自然に心豊かになり、優しい顔と優しいしぐさになって、まわりをあたためることが出来ると、年を重ねるに従って判ってきた。
私の今の役割は、この場所で、にこにことして、ささやかな幸福を出会う人たちと分かち合いたいということである。