それぞれの命を与えられて、人がこの地上で過ごす時間。永遠のように長く感じることもあれば、儚い一瞬にすぎないと思うこともある。だがそれらの時間も、命も、私たちに贈られた、いわば贈り物なのだ。
この贈り物をどう使えばいいだろう。使い方は無限にあるだろうが、よき使い方の一つは「与えられた役割を果たす」ことだと私は思っている。
私が初めて「役割」を自覚したのは、5歳の幼稚園児の時だった。妹が生まれたのである。もう自分は家の中で一番幼い子どもではない、これからは小さな妹に気を配り、お世話もしてあげるのだ、と誇らしく思っていた。
「役割」は思いもかけない時に降って来て、与えられることが多いようだ。きょうだいなどはその例だろう。そしてまた、何かの役割を引き受けるということは、その仕事のむしろつらく大変な部分を引き受ける覚悟をすることではないだろうか。
子ども時代の5歳の年齢差は大きい。年上の子どもは、遊び相手にも話し相手にもならない年下の子を忍耐しながら世話をし続ける。それなのに「まあ、同年齢の友だちがいないから、小さな子相手に遊んでいるのね」等と心ない大人から言われ、情けない思いをしたこともあった。
だがそのような経験は人を成長させるものだ。この後、幸いなことに私も妻や親になり、また職場や地域などの様々な仕事を通して、与えられた役割を果たすつらさと幸福を味わった。それは時間の贈り物の力でもあり、沢山の方々に助けられたおかげと感謝している。
そして、あの5歳の日がささやかな始まりだったのだと懐かしく思い出す。