先日、新聞を読んでいたら、読者の川柳欄に、そうだ、そうだ、と思う川柳が紹介されていた。 『老人はみんな何かの専門家』
ずいぶん以前に、本のタイトルも忘れたが、その中に「老人が1人亡くなると、1つの図書館を失う」と惜しむ、外国の話が載っていて、その時にもなるほどと思った。
私は父母がどちらも末っ子で、私自身も末の方の子どもなので、私が生まれたときには両親の祖父母はもういなかった。
やがて私が長じて、夫と結婚して、夫の家族と同居した時、80歳のおばあちゃんがいた。母やまわりの人は、舅、姑、大姑と一緒に暮らすことを心配してくれたが、私にはそんな心配はかけらもなかった。
今まで経験したこともないおばあちゃんとの新しい暮らしに期待に胸をふくらませていた。このおばあちゃんは、私の期待に十分応えてくれた。やさしくて、おおらかで、生活の知恵が豊富で、私に様々なことを教えてくれた。
質素倹約の人であったが、イザという時にはぽんとお金を出して人を助ける気前の良い人でもあった。
「生きたお金を使わんとあかん」というのが口癖で、「死に金を使ったら、神さんに叱られる」ともいっていた。
おばあちゃんは偉いな、おばあちゃんはうちの宝やなと思っておばあちゃんと過ごした。
わずか2年半後、脳出血で他界した。
あれから40年余り経ったが、今もずっとおばあちゃんは私の心に生き続けている。
私の母は「1歳でも年上の人のいうことはよく聞けよ。長く生きちょる分、知恵者じゃけん」といっていたが、私自身71歳になり、これから年下の人たちに何を伝えたらいいのかと自問自答している。