人間、生を受け、だれしも、母の胸に抱かれ、そのぬくもりの内に育まれてきました。そのぬくもりは、赤子のみが感じる、暑からず寒からず、母親ならではのやわらかな、心地よい、愛情に満ちた愛撫の温かさであります。目に見えないそのぬくもりは、いつまでも温かく、冷めることがありません。そこには、永久に続く安堵感と平安があります。母の愛は、深く大きく、遠大であります。いつまでも、限りなく、崇められ、尊ばれるべきものであります。
その何よりの象徴と言える最高のモデルが、キリストの御母、聖母マリアであります。聖母をたたえ、聖母に寄りすがることは、か弱い人間にとって、ごく自然な、相応しい言動であり、美しく、大いに推奨されるべきものだと思います。その祈りは「天使祝詞」と呼ばれ、1993年までおよそ100年使われてきた古い表現ですが、次のように、唱えます。
「めでたし聖寵滿ちみてるマリア、主、御身とともにまします。御身は女のうちにて祝せられ、ご胎内の御子イエズスも祝せられ給もう。天主の御母、聖マリア、罪人なるわれらのために、今も臨終の時も祈り給え。アーメン。」
このような「天使祝詞」でしたが、2011年の新しい口語体の訳では、「めでたし聖寵満ちみてるマリア」の重々しい表現の代わりに、「アヴェマリア、恵みに満ちた方」と、なんとなく、そっけない訳になっていっています。淋しく、残念に感じるのは、後期高齢者の私だけでしょうか。
いずれにせよ、聖母をめでたたえ、とりなしを願い、全てを聖母に委ね寄りすがることは、だれにでもふさわしい、謙虚で敬虔な姿であることには、なんら違いはありません。
カトリック教会では、5月を聖母月として、ロザリオの祈りをとなえます。
ロザリオとは、聖母マリアに捧げる「アヴェ・マリアの祈り」を繰り返し唱える際に用いる数珠状の祈りの用具、およびその祈りのことです。
伝統的に多くの聖人たちに愛され、歴代の教皇たちによって奨励されてきました。
ロザリオという名称は、ラテン語の rosarium に由来するもので、「バラの冠」という意味があります。一般的な説では、珠を繰りながら唱える祈り方が、バラの花輪を編むようなかたちになるからだと言われています。
私はまだ洗礼を受けていなかった学生の頃から、信者の友人に誘われて、一緒に教会や巡礼地などにとなえに行ったものです。信者になってからは、私も他の友人を誘ってロザリオをとなえに行くようになりました。
長崎市のカトリック系の小中学校に勤めるようになってからは、毎年5月の学校の行事として、クラスの子ども全員を連れて、近くの教会のルルドまでとなえに行ったものです。
ロザリオの言葉は素朴で、繰り返しが多く、子どもでも容易に祈ることができるのも良いことです。それゆえ、家族や友人たちと一緒にとなえることもでき、一致と信頼を強めるのにも役立ちます。
祈るとき、福音書に記されているイエス・キリストの生涯のおもな出来事を黙想することもできます。
イエスの生涯は「喜び」、「苦しみ」、「栄え」、「光」の4つの神秘にまとめられ、イエスのみ母マリアの心を通して、私たちをイエスとの生ける交わりへとあずからせます。
そうして、私たちは聖母マリアのぬくもりを感じながら、神と親しく生きることができるようになるのです。