母のぬくもり

湯川 千恵子

今日の心の糧イメージ

 私は母のぬくもりを知りません。私が1歳になる寸前に父が病気で亡くなり、母は兄と私を田舎の婚家に残して東京の実家に帰ったからです。隠居していた祖父が父親代わりに、未亡人となって3人の子どもを連れて実家に帰っていた伯母が母親代わりで、従兄弟たちと兄弟のように育ちました。近くに住む大叔母にも可愛がられて楽しい毎日でしたが、心の奥深くには言うに言われぬ寂しさがありました。

 結婚して新婚旅行の東京で、夫が母に会わせてくれました。母は私を婚家に残してきたのは捨てたのではない。私のためを思って身を切る決断だった、また私がぐれたりせずに結婚して会いに来てくれたのが何より嬉しいと言って泣きました。私も寂しかったけど、母の気持ちは何となくわかるので恨んだりしていない・・・と言って泣きました。何とその翌日、母は胸の手術で遠くの診療所に入ることになっていたのです。

 次に私が母に会ったのは、母が癌で亡くなる1ヶ月前でした。だから私にとって母はわずか2回会ったきりの人です。しかし母の療養中、私たちは堰を切ったように文通し、母が、東京で働きながらドストエフスキーを読んだことからロシア語の夜学に通い、そこで父に似た人に出会って再婚したことも知りました。

 母が亡くなったと知らされた時、母はもういなくなってしまったと本当に寂しく思いました。

 しかししばらくして一家でカトリックの洗礼を受けてから、母を身近に感じるのです。生きている時は遠く隔たれていた母が、今は自由にそばに来て、いつも私のために祈ってくれている、私も母のために祈ることができるからです。

 更に天の母マリア様を知ったので、私の心はいつも暖かく満たされてこの上なく幸せです。

母のぬくもり

小林 陽子

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 うちの母って、ちょっと変わった母親でした。

 小さい時はそれが不満でした。いわゆる「母ものドラマ」に登場する、何もかも包み込んでくれる、優しくたのもしい母、目の中に入れても痛くない可愛い子どものために、自分のことはさておいて尽くすタイプ・・、からは程遠いクールかつドライな母親なのでした。

 学生時代に、3泊4日の縦走登山をして帰宅すると、「アラ、どこの山に登ってたの」と一言。友人のお母さんは毎日山の天気を気にして、帰宅の日はそわそわと玄関の前を往ったり来たりだったそうな。いいなあ、母性愛充満、とうらやましがったりして。

 けれど10代から20代へと自我の発達につれて、子どもべったりの子離れできない母でなくてよかったーーーと思えるようにもなりました。むしろ「母の愛」に縛られることもない自由さ、また一風変わった面白いハハオヤ、と認識をあらためました。

 さて、その母のぬくもり、を味わったことあったっけ、とつらつら思うに・・、ありました!お弁当です。

 フタをあけるとパッチリ目のお人形のような女の子が現れます。髪の毛は海苔。くちびるは梅干し。目はお豆さん。服は玉子焼きにケチャップのリボン。それも日替わりで。

 母は絵を描いたり歌を歌ったりすることが好きで、つまり自分の好きな楽しいことをする人だったのです。きっと母はあれこれ考えながらお弁当作りを楽しんでいたのでしょう。

 「ノリ・サンド」と称してノリとノリの間にごはんやおかずを挟み、段々重ねにしたノリ弁。これ食べられるのかしら、と不安になった椿の花を盛った華やかな「花弁」。

 これ、母なりの人生の楽しみ方。世間の常識や思惑をとっぱらって、自分らしさを生きていたのだと思います。


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