母のぬくもり

植村 高雄

今日の心の糧イメージ

 幾つになりましても母のぬくもりは美しく暖かい想い出です。

 しかし母を知らない人々も沢山います。

 私の世代は不幸にも戦争を体験しているせいか、母のぬくもりばかりでなく、人間のぬくもりを欲しがります。人はぬくもりがないと明るく元気に生きるのが難しいといわれています。しかし、現代でも戦争やテロがあり、また大自然の災害もありますが、ぬくもりがなくても人々は逞しく生きています。

 母のぬくもり、人のぬくもりがなくても、人は「幸福感」という感情を手にいれることができるのかを考えてみました。

 幸せになる為に、人は「幸福の条件」と「幸福感」は全く違う世界であることを学ぶ必要がある、と言われています。

 「幸福の条件」とは、例えば結婚相手を選択する「条件」として、お金持ち、容姿端麗、等と条件づけることを言います。かたや「幸福感」とは、終末治療で明日の命も分からなくても、現実の解釈いかんでは「幸福感」を感じつつ息を引き取る事例です。

 このように自分が置かれている日々の現実の解釈を変えますと、どんな環境にいましても「幸福感」を感じることが出来ます。幸福の条件と幸福感はべつものだ、と意識した人々は、どんなに厳しい環境に置かれましても、考え方、解釈の仕方を変えることで明るく元気に爽やかに生きていきます。

 「母のぬくもり」は幸福の条件の一つ、ですから母のぬくもりが無い場合でも哀しむ必要はありません。私達の人生には想像を超えた色々の出来事があるでしょうが、条件を求めるよりも、厳しい現実の中で「幸福感」を感じる為に、厳しい現実をどう解釈するか、その解釈の仕方を賢く出来るように神様に祈りつつ、明るく元気に逞しく生きていきたいものです。

母のぬくもり

村田 佳代子

今日の心の糧イメージ

 聖書では「マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。」という記述を度々目にします。

 イエス様の誕生をみ使いから聞いた羊飼いたちが聖母子を訪れた時に始まり、神殿での少年イエスのエピソードの時も、そしてカナの婚宴の時も、そうなさったに違いありません。神の御子に対する絶対の信頼をもっていらして、何か出来事の度に受胎告知でのご自身のお答え「お言葉通り、この身に成りますように」(ルカ1・38)に立ち返られて、来し方を思い巡らしていらしたのでしょう。

 既に天国の住人ですが、私の母も静かな優しい人で、身の回りでいろいろな出来事があっても黙って心に納めてしまうタイプでした。祖母がはきはきした人で、何でも家族に報告しては感想を求めるタイプでしたので、彼女の喜怒哀楽に家族が巻き込まれることがありました。そんな時、母の静かなほほえみに安堵し、明日に向かうことが出来ました。

 ことに、ミッションスクールの小学校に通学していた私が、祖父母の希望で家業の医者を継ぐべく、国立の中学を目指した時、私を信じて、全てを心に納め、幼いころからの私の成長に思いをはせつつ、優しい微笑みで見守ってくれた母の姿が懐かしく思い出されます。私はこの母のぬくもりに支えられて受験に成功、合格することができました。

 10年余りが過ぎ、私自身が母となり娘たちを育てる中で、何度となく聖書を開き、マリア様に倣う努力をしたものです。神様が授けてくださった我が子を信じ、誕生の日の感動を思い起こし、心の中でその成長を反芻すると、自然に微笑みが浮かびます。

 きっと子供たちも「母のぬくもり」を感じたことでしょう。


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